大井才太郎(読み)おおい さいたろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大井才太郎 おおい-さいたろう

1856-1924 明治-大正時代の電気工学者。
安政3年11月17日生まれ。工部省,逓信省につとめ,明治21年欧米を視察。翌年東京-横浜,大阪-神戸間の電話回線架設に従事。23年鹿児島-台湾間の海底電信線を敷設した。電気学会会長。大正13年12月1日死去。69歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。工部大学校卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大井才太郎

没年:大正13.12.1(1924)
生年:安政3.11.17(1856.12.14)
明治大正期の電信電話技術者,行政家。三重県に生まれ,明治15(1882)年工部大学校電信学科を卒業。工部技手,逓信技師として電信線建設に従事した。電話事業をわが国に導入するに当たって民営論と官営論があったが,政府は官営論に決定して,大井を海外視察に派遣した。21年からドイツ,イギリス,アメリカを視察し翌年帰国。東京および横浜電話交換局創設を担当し,23年に交換が開始された。その後は海底電信線布設に従事し,また公債支弁の電話拡張計画をたてて拡張を実現した。大正6(1917)年,電気学会会長に選ばれた。

(高橋雄造)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大井才太郎
おおいさいたろう
(1856―1924)

電気工学者。三重県出身。1882年(明治15)工部大学校(現、東京大学工学部)電信科を卒業、工部省電信局に勤務。電話事業開始に際して欧米を視察(1888~1889)、帰国後「電話交換方法大要」を著し、「電話敷設規則」を起草した。1890年、東京・横浜電話交換局創設主管として電話事業開始に尽力。東京、大阪の電話交換局長などを経たのち、1893年逓信(ていしん)省通信局工務課長として台湾―鹿児島間、壱岐(いき)―対馬(つしま)間の海底電信線敷設工事に浅野応輔(おうすけ)とともに従事、1896年第一次電話拡張計画の原案を起草した。日本の電信電話事業の基礎を技術面から築いた。電気学会創立者の一人で、第6代会長を務めた。[井原 聰]

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