大仏宗宣(読み)おさらぎ・むねのぶ

朝日日本歴史人物事典 「大仏宗宣」の解説

大仏宗宣

没年正和1.6.12(1312.7.16)
生年正元1(1259)
鎌倉後期の幕府執権。大仏宣時北条時広の娘の子。北条宗宣ともいう。弘安5(1282)年従五位下,同9年引付衆,翌年評定衆となる。正応1(1288)年上野介,永仁1(1293)年越訴奉行,小侍奉行,執奏などを経て,同4年四番引付頭,次いで寄合衆(幕政会議である寄合の構成員)となる。翌年六波羅探題南方に任じて上洛,乾元1(1302)年正月鎌倉に帰ったが,その間に陸奥守となった。鎌倉に帰ってから一番引付頭,官途奉行,越訴奉行などを務め,嘉元3(1305)年執権北条師時の連署となり,応長1(1311)年10月執権に就任したが,正和1(1312)年5月病を得て辞任,出家した。法名は順昭といった。

(新田英治)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大仏宗宣」の意味・わかりやすい解説

大仏宗宣
おさらぎむねのぶ

[生]正元1(1259)
[没]正和1(1312).6.12.
鎌倉時代後期の武将。宣時の子。応長1 (1311) 年 10月3日から正和1 (12) 年5月 29日まで鎌倉幕府 11代執権。弘安9 (1286) 年6月引付衆,翌年 10月評定衆,正応1 (88) 年上野介,永仁4 (96) 年四番引付頭,同5年六波羅南方,正安1 (99) 年陸奥守,嘉元3 (1305) 年連署を経て,応長1年執権に任じられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大仏宗宣」の解説

大仏宗宣 おさらぎ-むねのぶ

1259-1312 鎌倉時代の武将。
正元(しょうげん)元年生まれ。大仏(北条)宣時の長男。母は北条時広の娘。評定衆,越訴(おっそ)奉行,小侍奉行などをへて,永仁(えいにん)5年六波羅(ろくはら)探題南方。嘉元(かげん)3年連署。応長元年鎌倉幕府11代執権となる。歌が「新後撰(ごせん)和歌集」以下の勅撰集に27首のる。正和(しょうわ)元年6月12日死去。54歳。

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