朝日日本歴史人物事典 「大仏宗宣」の解説
大仏宗宣
生年:正元1(1259)
鎌倉後期の幕府執権。大仏宣時と北条時広の娘の子。北条宗宣ともいう。弘安5(1282)年従五位下,同9年引付衆,翌年評定衆となる。正応1(1288)年上野介,永仁1(1293)年越訴奉行,小侍奉行,執奏などを経て,同4年四番引付頭,次いで寄合衆(幕政会議である寄合の構成員)となる。翌年六波羅探題南方に任じて上洛,乾元1(1302)年正月鎌倉に帰ったが,その間に陸奥守となった。鎌倉に帰ってから一番引付頭,官途奉行,越訴奉行などを務め,嘉元3(1305)年執権北条師時の連署となり,応長1(1311)年10月執権に就任したが,正和1(1312)年5月病を得て辞任,出家した。法名は順昭といった。
(新田英治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報