大仏貞直(読み)おさらぎさだなお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大仏貞直」の意味・わかりやすい解説

大仏貞直
おさらぎさだなお
(?―1333)

鎌倉末期の武将。鎌倉大仏近くに住んだ大仏(おさらぎ)流北条宗泰(むねやす)の子。1322年(元亨2)引付頭(ひきつけのとう)。右馬助(うまのすけ)を経て31年(元弘1)陸奥守(むつのかみ)。同年9月、金沢貞冬(かねさわさだふゆ)、足利(あしかが)高氏(尊氏(たかうじ))とともに大将軍として上洛(じょうらく)、28日に後醍醐(ごだいご)天皇の拠(よ)る笠置山(かさぎやま)を陥れ、10月21日には楠木正成(くすのきまさしげ)の赤坂城を落とした。33年(元弘3・正慶2)5月の新田義貞(にったよしさだ)の鎌倉攻めに際し、極楽寺(ごくらくじ)口防衛軍の将として大館(おおだて)宗氏などを討ったが、22日、脇屋義助(わきやよしすけ)軍に突撃を敢行して戦死した。生前、遠江(とおとうみ)(静岡県)、佐渡(新潟県)などの守護でもあった。

[奥富敬之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大仏貞直」の意味・わかりやすい解説

大仏貞直
おさらぎさだなお

[生]?
[没]元弘3=正慶2(1333).5.22. 鎌倉
鎌倉時代末期の武将。宗泰の子。右馬助,陸奥守。元弘1=元徳3 (1331) 年,元弘の乱では朝廷方として笠置,赤坂両城攻略に戦功を立てたが,元弘3=正慶2 (33) 年,新田義貞の鎌倉攻めの際には,極楽寺坂稲村ヶ崎で防戦し,義貞方の武将脇屋義助の陣に突入して戦死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大仏貞直」の解説

大仏貞直 おさらぎ-さだなお

?-1333 鎌倉時代の武将。
大仏(北条)宣時(のぶとき)の孫。元徳3=元弘(げんこう)元年足利尊氏とともに京都にいき,大将として後醍醐(ごだいご)天皇の行在所笠置山,楠木正成の赤坂城を陥落させた。正慶(しょうきょう)2=元弘3年新田義貞の鎌倉攻めを極楽寺坂,稲村ケ崎でふせぎ,5月22日脇屋義助の陣に突入して討ち死にした。

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