稲村ヶ崎(読み)いなむらがさき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

稲村ヶ崎
いなむらがさき

神奈川県南東部,鎌倉市相模湾にのぞむ小岬。鎌倉時代には鎌倉四境の1つとして要害の地であった。元弘3=正慶2 (1333) 年北条氏攻略に向った新田義貞佩刀海神に投じたところ,海水が沖合いに引いたので,干潟を渡って鎌倉に攻め入ったと伝えられる。新田義貞徒渉伝説地として,一帯史跡に指定されている。

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世界大百科事典 第2版の解説

いなむらがさき【稲村ヶ崎】

神奈川県鎌倉市の南西部にある相模湾に突出する懸崖。この岬によって湾岸を由比ヶ浜と七里ヶ浜に分ける。古くは干潮時には海寄りを渡渉できたらしく,《海道記》にも岬を回ったことがみえる。1333年(元弘3)の新田義貞の鎌倉攻めでは,義貞がここに黄金造りの太刀を投じて進路を開いたという史話にちなんで史跡に指定されている。鎌倉から江ノ島に通じる海岸の湘南道路は1933年の開設。【伊倉 退蔵

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大辞林 第三版の解説

いなむらがさき【稲村ヶ崎】

鎌倉市、由比ヶ浜と七里ヶ浜との間にある懸崖。新田義貞が鎌倉攻めの際、太刀を海中に投じて、干潮を竜神に祈って攻め入った所。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔神奈川県〕稲村ヶ崎(いなむらがさき)


神奈川県鎌倉市、由比ヶ(ゆいが)浜の西側に張り出た岬状の懸崖(けんがい)。海岸は古くから交通の難所として知られた。鎌倉時代末期に新田義貞(にったよしさだ)が剣を海神に捧げて祈り、鎌倉に攻め入った伝承の地。国指定の史跡。一帯は鎌倉海浜公園。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

稲村ヶ崎
いなむらがさき

神奈川県鎌倉市の海岸の中央に突き出た岬。新田義貞(にったよしさだ)徒渉伝説地で、国指定史跡。江ノ島電鉄の駅があり、鎌倉駅、小田急電鉄片瀬(かたせ)江ノ島駅からもバスが通ずる。岬は由比ヶ浜(ゆいがはま)と、七里ヶ浜とを分け、相模(さがみ)湾を一望に収められる景勝地。この海岸は古くからの交通路で、鎌倉時代には鎌倉の大手口で、四境祭の西方の祭場にされたこともあったが、風波が激しく難路として知られていた。元弘(げんこう)の変(1331)に新田義貞が鎌倉の北条氏を攻めたとき、西側の攻撃口としていた極楽寺切通(ごくらくじきりどおし)の守備が堅くて破ることができず、稲村ヶ崎の岩頭から、自分が佩(お)びていた黄金(こがね)づくりの太刀(たち)を海中へ投げ入れて、竜神に潮の引くことを祈り、磯(いそ)伝いに一挙に攻め込んだという伝説はあまりに有名。岬の西側の高台は公園になっており、新田義貞の碑や、「真白き富士の嶺(ね)」の歌で知られる逗子(ずし)開成中学生のボート遭難の碑がある。[浅香幸雄]

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