大住庄(読み)おおすみのしよう

日本歴史地名大系 「大住庄」の解説

大住庄
おおすみのしよう

木津きづ川西岸に位置する奈良興福寺領の荘園近世の大住村の地に比定される。

大治四年(一一二九)官宣旨(尊経閣文庫蔵)に次のようにみえる。

<資料は省略されています>

この官宣旨は、石清水いわしみず八幡宮領山城国たちばな園の田畠公験正文を八幡宮寺に進上した際のものであり、そのうちに「興福寺領大隈庄預僧浄賀」の名がみえる。橘園の位置は現在の大住の西方大谷おおたに山辺りであろうと推測されている。ともかく、この官宣旨によれば、大住庄の住僧浄賀および代官貞遠が石清水八幡宮領橘園に濫妨を働いていた。この紛争の以後の経過は不明だが、のちの石清水八幡宮領たきぎ庄と当荘との闘乱の伏線の一つであったろうことは疑いない。

大住・薪両荘の紛争は、嘉禎元(一二三五)―二年、朝廷幕府を巻き込んで、幕府による大和守護職設置という異常事態を引き起している(→薪庄

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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