大坂夏の陣(読み)オオサカナツノジン

デジタル大辞泉 「大坂夏の陣」の意味・読み・例文・類語

おおさか‐なつのじん〔おほさかなつのヂン〕【大坂夏の陣】

元和元年(1615)夏、徳川方が冬の陣の和議条件に反して大坂城内堀を埋めたため豊臣方が兵を挙げ、徳川家康らに攻め落とされた戦い淀君よどぎみ秀頼母子は自害し、豊臣氏滅亡。→大坂冬の陣

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精選版 日本国語大辞典 「大坂夏の陣」の意味・読み・例文・類語

おおさか【大坂】 夏(なつ)の陣(じん)

  1. 大坂の陣の二度目の戦い。→大坂の陣

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大坂夏の陣」の意味・わかりやすい解説

大坂夏の陣
おおさかなつのじん

大坂の陣」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の大坂夏の陣の言及

【大坂の陣】より

…江戸幕府が豊臣氏を大坂城に滅ぼした戦い。1614年(慶長19)の冬の陣と,翌年(元和1)の夏の陣とに分かれる。
[原因]
 1598年,豊臣秀吉は当時6歳の秀頼を五大老の筆頭徳川家康以下の有力諸大名に託して死んだが,その2年後の関ヶ原の戦で天下の実権を掌握した家康は,1603年には征夷大将軍となり,全国の大名を軍事的に指揮する伝統的な権限を手中にした。この権限にもとづいて家康は諸大名に築城などの御手伝普請を賦課するとともに,京都の二条城,江戸,駿府などへの参勤と証人(人質)の呈出とを強制した。…

【後藤基次】より

…また徳川家康家臣の成瀬正成らからなされた長政への帰参斡旋にも応ぜず,14年豊臣秀頼挙兵に応じ大坂入城,木村重成らとともに鴫野に佐竹義宣の軍を破る。翌年大坂夏の陣でも籠城,家康が播磨一国を与えて誘引しようとしたが,拒絶したと言われる。平野に関東勢を撃つなど,真田幸村らとともに奮戦したが,5月6日,松平忠明,伊達政宗らの軍に敗れ,片山道明寺で戦死。…

※「大坂夏の陣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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