日本大百科全書(ニッポニカ) 「大日本国粋会」の意味・わかりやすい解説
大日本国粋会
だいにほんこくすいかい
1919年(大正8)10月、関東、関西のやくざを集めてつくった官製の暴力団右翼団体。原敬(はらたかし)内閣の内務大臣床次竹二郎(とこなみたけじろう)が根回し役で、同年すでに発足していた関東国粋会の梅津勘兵衛(うめづかんべえ)らと関西の侠客(きょうかく)西村伊三郎などを「大同団結」させ、大木遠吉(とおきち)伯爵を総裁にして設立。東宮侍講杉浦重剛(しげたけ)が皇室中心主義に仁侠道(にんきょうどう)を加えてつくった綱領(これ以外にも、労資協同などをうたった別綱領があった)をもち、労働争議、部落解放運動を襲撃、各地で蛮行を働いた。23年の奈良県水平社事件、27年(昭和2)千葉県野田醤油(しょうゆ)争議への暴力介入はとくに有名。発足以来関東系と関西系の縄張り争いが絶えず、衝突と手打ちを繰り返し、しだいに力を失った。58年(昭和33)に日本国粋会として再建、「保守反動政策排撃、進歩的健善政党支持」などの綱領をもったが、現在は名ばかりとなり、この系譜の団体として国粋青年隊、蒼龍(そうりゅう)会がある。
[大野達三]
『荒原朴水著『大右翼史』(1966・秀文社)』