大日本翼賛壮年団(読み)だいにほんよくさんそうねんだん

精選版 日本国語大辞典 「大日本翼賛壮年団」の意味・読み・例文・類語

だいにほん‐よくさんそうねんだん‥ヨクサンサウネンダン【大日本翼賛壮年団】

  1. 大政翼賛会外郭団体。陸軍省軍務局長武藤章らにより、ナチス親衛隊にならって作られた。町村末端まで組織され、昭和一七年(一九四二)の選挙では多く団員を当選させ一大政治勢力となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大日本翼賛壮年団」の意味・わかりやすい解説

大日本翼賛壮年団
だいにほんよくさんそうねんだん

1942年1月 16日大政翼賛運動を推進する青壮年を結集して組織された団体。 41年当時大政翼賛会の官僚化が進行し,その改組が必至となっていたが政府は同年3月成立した大日本壮年団連盟を翼賛体制のなかに吸収しようとして,大日本翼賛壮年団の組織化をはかった。大日本壮年団連盟は 41年9月 25日に「発展的解消」をとげ,翼賛壮年団に参加合流した。大政翼賛会総裁の統括のもとにおかれ,大政翼賛運動の有力な実践部隊となった。また,新体制運動にも積極的に協力した。第 21回衆議院総選挙 (翼賛選挙) において 40名以上の団出身議員を送り出し,さらに,5月以後の地方選挙にも介入した。機関紙『翼賛壮年運動』を発行し,130万人の団員を擁した。 45年6月大政翼賛会とともに解散

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大日本翼賛壮年団」の解説

大日本翼賛壮年団
だいにほんよくさんそうねんだん

大政翼賛会の外郭団体。略称翼壮。大政翼賛会が政治力を後退させたのに対し,軍部などの働きかけで1942年(昭和17)1月発足,翼賛運動の実践部隊となった。団員数は130万人に達した。選挙などを通じて政治的発言力を強め,既存の政治勢力を攻撃し,地方官庁などと対立することもあった。45年国民義勇隊の結成にともなって解消。

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改訂新版 世界大百科事典 「大日本翼賛壮年団」の意味・わかりやすい解説

大日本翼賛壮年団 (だいにほんよくさんそうねんだん)

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世界大百科事典(旧版)内の大日本翼賛壮年団の言及

【大政翼賛会】より

…こうして翼賛会は,内務官僚と警察が主導権を握る上意下達の行政補助機関となった。ついで東条内閣は,42年1月16日大政翼賛運動の実践部隊として大日本翼賛壮年団を結成,4月30日には翼賛選挙を実施して翼賛議会体制を確立し,6月23日には大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本婦人会・大日本青少年団の官製国民運動6団体を翼賛会の傘下に統合し,8月14日には部落会・町内会の会長を翼賛会の世話役に,隣保班長・隣組長を世話人とすることを決定した。ここに翼賛会と地方行政組織の一体化が完成し,天皇制ファシズムが体制として確立した。…

【翼賛壮年団】より

…青壮年による大政翼賛会の外郭団体。正式名称は大日本翼賛壮年団(翼壮)。大政翼賛会が治安警察法3条にいう公事結社(非政治的団体)と認定され,国民政治力の結集に失敗したため,ナチスの親衛隊にヒントをえた陸軍省軍務局長武藤章らが黒幕となり,大政翼賛運動の実践部隊として1942年1月16日に結成された。…

※「大日本翼賛壮年団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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