翼賛選挙(読み)よくさんせんきょ

精選版 日本国語大辞典 「翼賛選挙」の意味・読み・例文・類語

よくさん‐せんきょ【翼賛選挙】

〘名〙 昭和一七年(一九四二四月東条内閣による候補者推薦制度の下で行なわれた第二一回衆議院総選挙通称二月結成された翼賛政治体制協議会およびその道府県支部によって候補者が推薦されたところからいう。

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デジタル大辞泉 「翼賛選挙」の意味・読み・例文・類語

よくさん‐せんきょ【翼賛選挙】

東条英機内閣による昭和17年(1942)の第21回衆議院議員総選挙のこと。政府の戦争遂行政策を支持する候補者を翼賛政治体制協議会が推薦し、非推薦候補には激しい選挙干渉が加えられた。当選議員の8割以上を推薦候補が占めた。

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改訂新版 世界大百科事典 「翼賛選挙」の意味・わかりやすい解説

翼賛選挙 (よくさんせんきょ)

1942年4月30日東条英機内閣によって実施された第21回衆議院議員総選挙の通称。東条内閣は総選挙にはじめて候補者推薦制度の導入を決定し,42年2月23日,軍部大政翼賛会財界・農業団体・貴衆両院・その他の代表33名を招き,元首相阿部信行陸軍大将を会長とする翼賛政治体制協議会(翼協)を結成させた。翼協は〈政事結社〉の届出をし,民間人による自発的運動という体裁をととのえるため,道府県単位の支部を結成し,地元の有力者742名を支部長と支部会員に任命するとともに,政府にかわって候補者の推薦と選挙運動を行った。候補者の推薦は,内務省・警察および軍部がひそかにつくった〈立候補適格者〉名簿にもとづき,各地方支部が選考した候補者を本部に内申し,本部が選挙公示日の4月4日までに議員定数と同じ466名を決定するという方式で行われた。推薦候補者には翼協を通じて選挙資金が配分された反面,非推薦候補者には警察による激しい選挙干渉が加えられたため,選挙戦は低調であったが,隣組などを通じての投票狩出しが効を奏し,投票率は81.1%に達した。当選者は推薦候補者466名中381名(当選率81.8%),非推薦候補者613名中85名(同13.9%),当選者の内訳は前議員251名,元議員20名,新人195名であり,新人の当選が目立った。また非推薦候補者の得票は約419万票(得票率35%)に達し,東条内閣への批判が意外に強かったことが判明した。翼協は5月5日に解散し,5月20日に翼賛政治会が結成され,いわゆる翼賛政治体制が確立した。
翼賛体制
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「翼賛選挙」の意味・わかりやすい解説

翼賛選挙
よくさんせんきょ

1942年(昭和17)4月30日、東条英機(ひでき)内閣によって実施された第21回衆議院議員総選挙の通称。東条内閣は総選挙に初めて候補者推薦制度を導入することを決定し、42年2月23日翼賛政治体制協議会(略称翼協、会長阿部信行(あべのぶゆき))を結成させた。同会は地元有力者による道府県支部を結成して候補者選考にあたったが、実際の選考は、内務省、警察および軍部がひそかにつくった「立候補適格者」名簿に基づいて行われた。推薦候補者には翼協から選挙資金が分配された反面、非推薦候補者には激しい選挙干渉が加えられ、選挙戦は低調であったが、隣組などを通じての投票狩り出しのため、投票率は83.1%に達した。当選者は推薦候補者466名中381名(当選率82%)、非推薦候補者613名中85名(同14%)、非推薦候補者の得票は419万票(得票率35%)であった。翼協は5月5日に解散し、5月20日翼賛政治会が結成され、いわゆる翼賛政治体制が確立した。

[木坂順一郎]

『吉見義明・横関至編『資料日本現代史4・5 翼賛選挙〔1〕〔2〕』(1981・大月書店)』『木坂順一郎著『昭和の歴史7 太平洋戦争』(1982・小学館)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「翼賛選挙」の意味・わかりやすい解説

翼賛選挙
よくさんせんきょ

1942年4月 30日,東条英機内閣下で行われた第 21回衆議院議員選挙のこと。東条内閣は議会を完全に操縦するため,貴衆両院,大政翼賛会,財界,帝国在郷軍人会,言論界などの代表者から成る翼賛政治体制協議会 (会長阿部信行) とその道府県支部を結成させ,これらによる候補者推薦制を設けた。鳩山一郎斎藤隆夫らの同交会や中野正剛の東方会などはこの制度に反対したため彼らは推薦されなかった。立候補者総数 1079名中,推薦者が 467名,推薦候補者たちは,選挙資金として政府から臨時軍事費を交付され,翼賛政治体制協議会や翼賛壮年団による支援も受けた。投票率は全国平均 83%強の驚異的高率となったが,これは隣組などの末端組織を動員したことによる。当選者は推薦者が 80%強の 381名,非推薦者は 85名であった。選挙後,翼賛政治体制協議会に代り,非推薦議員をも含む翼賛政治会が結成され,東条独裁体制が確立していった。

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百科事典マイペディア 「翼賛選挙」の意味・わかりやすい解説

翼賛選挙【よくさんせんきょ】

1942年4月30日東条英機内閣により実施された第21回衆議院議員選挙。東条は候補者推薦制度をとり,翼賛政治体制協議会を結成し,議員定数と同じ466人の候補者を推薦,臨時軍事費を流用して応援し,非推薦候補を激しく圧迫した。当選者は推薦381人,非推薦85人,非推薦人の得票率は35%に達し,東条内閣への批判が意外に強かったことが判明。5月には翼賛政治会を結成。
→関連項目尾崎行雄大政翼賛会翼賛議員同盟

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「翼賛選挙」の解説

翼賛選挙
よくさんせんきょ

1942年(昭和17)4月30日実施の第21回総選挙の通称。任期満了にともなう総選挙は時局急迫を理由に1年延期されていたが,実施にあたって東条内閣は,政府に有利な政界刷新をねらって事実上の推薦選挙とする方針をうちだした。各界代表者に翼賛政治体制協議会を結成させ,衆議院定数と同じ466名の推薦候補を選定させたため翼賛選挙とよばれた。立候補者総数は1079人,当選者の内訳は推薦候補381人(うち現職200人),非推薦候補85人(うち現職47人)。推薦候補を有利に導くため官憲による露骨な選挙干渉が多発し,のちに議会で問題となったほか,大審院で選挙無効の判決がでた例もあった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「翼賛選挙」の解説

翼賛選挙
よくさんせんきょ

1942年4月30日,東条英機内閣による第21回衆議院議員総選挙をいう。

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世界大百科事典(旧版)内の翼賛選挙の言及

【翼賛体制】より

…放置すれば翼賛体制に亀裂が入るため,43年末東条英機内閣は翼壮に対して統制を加え,翼壮の活動力は衰えた。 一方,東条内閣は,太平洋戦争の緒戦の勝利を利用し,1942年4月30日にいわゆる翼賛選挙を実施した。政府は衆議院議員総選挙に初めて候補者推薦制度を導入し,議員定数466名中381名の推薦議員を当選させた。…

※「翼賛選挙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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