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大木遠吉 おおき えんきち

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美術人名辞典の解説

大木遠吉

明治・大正期の政治家。大木喬任の長男。伯爵。幼時は病弱のため通学しなかった程だが明治23年爵位をつぎ貴族院議員となる。政友会で原敬と親交を結び政界で活躍し原内閣の司法相となる。またアジア問題にも関心をもち同交会・国民外交同盟会等にも関係して貴院内にも関係して貴院内でも異色の存在であった。大正15年(1926)歿、55才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大木遠吉 おおき-えんきち

1871-1926 明治-大正時代の政治家。
明治4年8月5日生まれ。大木喬任(たかとう)の長男。明治32年伯爵をつぎ,41年貴族院議員。原内閣と高橋内閣の法相,加藤友三郎内閣の鉄道相となる。大日本国粋会総裁。大正15年2月14日死去。56歳。東京出身。学習院卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大木遠吉

没年:大正15.2.14(1926)
生年:明治4.8.5(1871.9.19)
明治大正期の政治家。東京府出身。伯爵大木喬任の3男として生まれる。明治32(1899)年,襲爵。40年,貴族院伯爵議員補欠選挙に際し,藩閥系候補者に対抗して立候補したが破れ,伯爵同志会を起こして閥族打破を唱えた。41年の補欠選挙に当選,貴族院議員となる。以後,伯爵議員の指導者として政友会に近い立場にあり,大正9(1920)年以降,原敬,高橋是清両内閣の司法大臣,加藤友三郎内閣の鉄道大臣それぞれ務めた。<著作>『我が抱負』『男児の意気』<参考文献>伊東正『大木遠吉伯』,大日本国粋会会報『噫総裁大木伯爵』

(西尾林太郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大木遠吉
おおきえんきち

[生]明治4(1871).8. 佐賀
[没]1926.2.15. 京都
政治家。大木喬任の長男。幼時病弱のため正式の教育を受けていない。 1900年爵位を継ぎ,貴族院議員となる。原敬と親交があり,院内ではもっぱら立憲政友会の立場を援助,20年原敬内閣が成立すると司法相として入閣した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典内の大木遠吉の言及

【国粋会】より

…〈我国古来の温情主義による労資間の美風良俗〉を守るべく,左翼運動を実力で粉砕しうる団体たることがめざされていた。設立にあたっては総裁には大木遠吉が,会長には磯部四郎が就任し,内務大臣床次(とこなみ)竹二郎,鈴木喜三郎,頭山満が名をつらねた。会の主たる活動は,〈調停〉の名目で争議に介入し,これを鎮圧することにあり,それによって資本家から報酬を受けとるのが常であった。…

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