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大森城 おおもりじょう

日本の城がわかる事典の解説

おおもりじょう【大森城】

福島県福島市にあった戦国時代の山城(やまじろ)。同城の築城年代、築城者は明らかではないが、付近には鎌倉時代から室町時代初め(南北朝時代)にかけての板碑が残っており、当時の有力者の居館があったと考えられている。大森城が史料に頻繁に登場するようになるのは戦国時代で、特に伊達実元(さねもと)(伊達稙宗(たねむね)の三男。伊達政宗(まさむね)の祖父晴宗(はるむね)の弟)が城主となってからで、稙宗と晴宗が争った伊達氏の内紛、天文(てんぶん)の乱(1542~48年)では稙宗方の拠点となった。この乱の後、実元は兄晴宗に赦免されて大森城主にとどまり、その後、八丁目城(同市松川町)に隠居したのち、嫡男の伊達成実が城主となった。成実が政宗より二本松城を与えられた後に、片倉景綱が城主となった時期もある。1591年(天正19)の豊臣秀吉の奥州仕置により、伊達政宗が現在の宮城県に国替えになると、信夫郡を与えられた蒲生氏郷(がもううじさと)の属城となり、氏郷の客将の木村吉清が城主となった。その後、吉清は福島城を築城して居城を移したため、大森城は廃城となった。しかし、その後上杉景勝が会津に国替えになると、大森城は再興され上杉氏の城となり、その家臣の芋川氏が代々城主をつとめたが、1644年(正保1)、上杉氏の御家騒動により15万石に減封され、信夫郡が天領(幕府直轄領)になるに及んで再び廃城となった。大森城は山頂に主郭があり、北の北館、南の南館の3つの郭で構成されていた。主郭の南側に空堀と土塁跡が残っており、かつての城域の一部が城山公園として整備されている。この公園は福島市有数の桜の名所で、麓の同市大森地区は大森城の城下町としてつくられた市街である。JR東北本線・東北新幹線福島駅からバスで大森本町信夫支所入口下車、徒歩約15分。◇臥牛城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典内の大森城の言及

【大森[町]】より

…横手盆地西部,雄物川西岸に位置し,西部は笹森丘陵,東部は雄物川の沖積地からなる。中心の大森には中世に小野寺氏一族が拠った大森城跡があり,近世は雄物川舟運の河岸場として栄えた。また西の由利郡芋川流域への交通の要地でもあり,定期市も開かれていた。…

※「大森城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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