日本大百科全書(ニッポニカ) 「大正日日新聞」の意味・わかりやすい解説
大正日日新聞
たいしょうにちにちしんぶん
1919年(大正8)11月25日、白虹(はっこう)筆禍事件で『大阪朝日新聞』を退社した鳥居素川(そせん)が大阪で創刊した日刊紙。勝本忠兵衛、藤村義朗(よしろう)ら阪神財界の有力者が出資し、同じ『朝日』退社組の花田大五郎、丸山幹治、室伏高信、青野季吉(すえきち)、鈴木茂三郎、橋戸頑鉄(がんてつ)(信(まこと))、宮部敬治、伊豆富人(とみと)、中島為喜(ためき)らを擁した堂々たる新聞であったが、営業面に人を欠き、『朝日』『毎日』両紙の堅陣に歯がたたず、出資者との内紛などもあって、翌20年6月、鳥居は退社、7月17日、大本(おおもと)教に買収され、その使命は終わった。9月25日復刊した『大正日日新聞』は大本教の機関紙で、大本教弾圧(1921)後は、23年3月米田誠夫の手に移り、40年(昭和15)ごろまで発行を続けた。
[春原昭彦]