大津京(読み)おおつきょう

精選版 日本国語大辞典 「大津京」の意味・読み・例文・類語

おおつ‐きょう おほつキャウ【大津京】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大津京」の意味・わかりやすい解説

大津京
おおつきょう

天智6 (667) 年,天皇が諸人の反対を押切って大和飛鳥から移した都。その位置はいまの滋賀県大津市内の旧滋賀村一帯といわれるが,詳細は不明。遷都の理由は,飛鳥の旧勢力を避け人心を一新すること,さらに水陸交通の便がよいこと,対新羅防衛策などがあげられる。唐風の画然たる都城であったといわれ,内裏のほかに仏殿,西殿,西小殿,大蔵などがあった。同 10年天智天皇没後,この帝都も弘文1 (672) 年の壬申の乱によって荒廃した。『万葉集』に柿本人麻呂高市古人 (→高市黒人 ) らのこの荒都を悲しんだ歌が収められている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大津京」の解説

大津京
おおつきょう

7世紀,天智天皇在位中の都
667年中大兄 (なかおおえ) 皇子(のちの天智天皇)が近江国大津京に遷都し翌年即位。672年大友皇子が壬申 (じんしん) の乱に敗死し,天武天皇の飛鳥浄御原 (きよみはら) 宮遷都で,以後まったく衰微した。

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世界大百科事典(旧版)内の大津京の言及

【大津[市]】より

…人口27万6332(1995)。都市としての起源は天智天皇が大津京を造営した667年(天智6)までさかのぼる。大津の中心市街は交通の要衝に位置しているため,近世には東海道の宿場町,琵琶湖水運の港町として繁栄するとともに,西国三十三所の第14番札所園城(おんじよう)寺(別称,三井寺)の門前町としてにぎわった。…

※「大津京」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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