大石千引(読み)オオイシチビキ

デジタル大辞泉 「大石千引」の意味・読み・例文・類語

おおいし‐ちびき〔おほいし‐〕【大石千引】

[1770~1834]江戸後期の国学者歌人。江戸の人。加藤千蔭かとうちかげ師事。著「言元梯」「日中行事略解」など。

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精選版 日本国語大辞典 「大石千引」の意味・読み・例文・類語

おおいし‐ちびき【大石千引】

  1. 江戸後期の国学者、歌人。江戸の人。加藤千蔭に師事し、万葉風の歌をよむ。著「大鏡系図」「日中行事略解」「栄花物語抄」など。明和七~天保五年(一七七〇‐一八三四

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改訂新版 世界大百科事典 「大石千引」の意味・わかりやすい解説

大石千引 (おおいしちびき)
生没年:1770-1834(明和7-天保5)

江戸中期の国学者。下野烏山藩士大石田隣の子。江戸本所に生まれ,通称伝兵衛,のち源左衛門。千引は号。舎号は野乃舎。歌才にすぐれ,はじめ冷泉家の歌風を学ぶが,のち加藤(橘)千蔭に従い万葉調の作歌をめざす。《栄華物語》《大鏡》の研究に精力を傾け,また他説を自説とする風潮を批判,独自の語釈を追究した。著書に《栄華物語抄》《大鏡短観抄》《大鏡系図》《元言梯》《野乃舎随筆》など。
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朝日日本歴史人物事典 「大石千引」の解説

大石千引

没年:天保5.9.13(1834.10.15)
生年:明和7.3.12(1770.4.7)
江戸後期の国学者。初名貞見,通称伝兵衛,源左衛門,字道和,号星廬,野々舎。江戸の人。父は下野(栃木県)烏山藩士。幕臣歌人横瀬貞臣に和歌を学び,のち加藤千蔭門に入る。歌人としてよりも国学者として名を成した。特に『栄花物語』や『大鏡』の研究にすぐれた業績を挙げる。『大鏡短観抄』『栄花物語抄』などのほか,随筆『野乃舎随筆』,歌集『野乃舎集』がある。

(久保田啓一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大石千引」の解説

大石千引 おおいし-ちびき

1770-1834 江戸時代後期の歌人,国学者。
明和7年3月12日生まれ。冷泉(れいぜい)家の歌風を横瀬貞臣にまなんだが,のち加藤千蔭(ちかげ)の門人となる。「大鏡」「栄花物語」の研究に力をそそいだ。天保(てんぽう)5年9月13日死去。65歳。江戸出身。初名は貞見。字(あざな)は道和。通称は伝兵衛。号は星廬,野々舎。著作に「大鏡系図」「言元梯」など。

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367日誕生日大事典 「大石千引」の解説

大石千引 (おおいしちびき)

生年月日:1770年3月12日
江戸時代後期の国学者
1834年没

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