改訂新版 世界大百科事典 「大衆文化」の意味・わかりやすい解説
大衆文化 (たいしゅうぶんか)
ある社会で生産され提供される社会的機会・財貨・サービス・情報(精神的な富)を,その社会を構成する大衆がひろく享受する全状況をいう。つまり精神的な富の生産・流通・享受の過程と,その過程が社会および個人に対してもつ意義を含んでいる。
いうまでもないが,大衆文化の成立には,社会的階層としての〈大衆〉の発生が不可欠の前提になる。大衆がどのような過程をたどっていつごろ出現したかは,議論の分かれるところであり,必ずしも自明ではないが,身分や地位にもとづく伝統的な階層構造が崩れ,階層的には最底辺にいた人口層にまで普通教育が普及し,この人々に政治に参加する機会が与えられ,そして,マス・メディアの受け手になりうる社会的条件が与えられ,何よりもまず,一定水準の消費生活を享受する経済的条件が満たされ,その結果,大衆化状況--大衆民主主義から流行まで--が出現する。それをもって〈大衆〉の成立といってよかろう。したがって,日本における〈大衆〉の登場を,大正末期から昭和初期に求める有力な見解がある。
さて大衆文化の構造であるが,たとえばあるテレビ番組が数十%の視聴率をあげたとする。これは,すでに大衆文化(現象)である。この現象を成立させるためには,まず放送制度--放送法その他の法体系によって保証されている--があり,番組を企画,製作,編成,送出している放送局という機関とその機能がある。商業放送であれば,その背後にスポンサー(の宣伝活動)と,その広告・宣伝活動を代行する広告代理業が存在する。これらは,放送に影響力をもっている。さらにその周辺には,タレント,俳優の組織(プロダクション),制作プロダクション,他の大衆文化生産活動(レコード製作機関など)が配置されている。番組の送出から再現にいたるまでは一つの技術過程であり,高度の情報技術・エレクトロニクスの体系が含まれている。そして送り出された番組は,視聴されることによってはじめて大衆文化として実現する。一般大衆が番組をどう見ているか,ほんとうはよくわからない。さまざまの見方をしているらしい,と推測しうるだけだ。しかし,なんらかの意味・理由があって視聴していることは確実である。そして,しばしば番組が社会的に話題になり,新しいアイドルが生まれ,主役のファッションが模倣され,主題歌が流行し,流行語が生まれる--そういう形で社会的影響が形成される。ここにいたるまでの全過程・全状況を大衆文化という。
精神的富の享受が大衆的に可能となったいわゆる大衆文化成立の理由・背景・条件として,(1)生活水準の上昇,(2)高等教育の普及,(3)余暇時間の増加,(4)精神的富の低廉化,(5)知識・教養のヒエラルヒーの崩壊をあげることができる。かつて,いわゆる精神的富の享受は,経済的・生活的余裕,一定の知識水準を保持する限られた社会階層に独占されていた。庶民は,年に数度の年中行事(祭祀,盆・正月の行事)を通じて,伝統的な文化に接触し,ほかに若干のきわめて通俗的な読物,見世物があるだけだった。したがって,庶民の享受する文化を〈低級文化〉,特定社会階層のそれを〈高級文化〉とする分類方法があったわけである。
上記(1)~(3)の条件が満たされることによって,社会の下層を構成していた大衆が,一部階層に独占されていた社会的機会・精神的富へ接近することが可能になり,また現実にそうなった。社会的機会と精神的富の享受・消費は,一面で大衆の生活を豊かにし便利にし,かつて充足されることのなかった欲求を解放し,新しい欲望を培養した。他面で,享受・消費の大量性・大衆化は,社会的機会と精神的富の性格を変えた。享受・消費の平等性を確保するために,大衆媒体が利用されたことも,機会・富の変質に影響したといえる。要するに,精神的富の生産と伝達が,大量性ゆえに,経済的にひきあうようになったのである。日本でも,すでに戦前において,新聞,映画,書籍,レコード,放送の大衆化の傾向が明らかに現れていた。精神的富も大量生産・大量消費されることによって低廉化するのであり,その結果,さらに大量化に拍車がかかったのである。こうして(4)の条件が成立する。大量生産され,それゆえに変質した精神的富は低俗,低級,マンネリだとして,〈高級文化〉の立場から批判された。また,享受主体である大衆に,画一性,受動性,被操作性,情緒不安定,社会的欲求不満といった属性が与えられ,大衆文化(現象)批判の根拠となった。大衆文化は,大衆の意識を麻痺させ,その情緒を操作する社会体制側の手段であるとされたのである。
20世紀後半,とくに1960年代になると,大衆文学と純文学の間に中間小説というジャンルが成立し,ポピュラー音楽とクラシックの間にジャズ,フォーク,ロックといったジャンルが自立し,イラスト,写真などの映像表現が現れて,それぞれが大衆性,大量性を実現した。これらのジャンルは,その中間的性格によって〈高級文化〉と〈低級文化〉の境界線をあいまいにしてきた。のみならず,その各ジャンルで創造的な仕事をしたものの多くが,正規の制作者・創造者としての訓練の過程をへていなかった。さらにいえば,たとえばクラシック音楽が,新しい創造的な作品を得られず,単なる再現芸術にとどまっているのに対して,ジャズ,ロックにおいてはいくばくかの創造性を含む作品が現れ,新しい音楽言語が開発されたのは事実なのである。こうして,従来の大衆文化批判の指摘と反する事実が,大衆文化(現象)という状況のなかで発生した。それは,大衆文化そのものの変質でもあった。このことは,(5)の条件と相互依存的な関係になっている。
テレビを見,スポーツを観戦し,新聞を読み,漫画を読み,好きな歌手の歌を聴く。これは,食事をし,化粧をし,洋服を着,あいさつをし,仕事をするのと同様,人間の生の営みである。こういうことの総体を,一般に〈文化〉という。文化とは,生の営みとその形態なのであり,したがって,個人のレベルでは,文化と大衆文化の区別など存在しないし,できない。大衆文化を文化の概念のなかで際立たせる要因は,大衆媒体の介在である。この要因を前提にすると,大衆文化とは大衆娯楽と多くの点で重複する。
執筆者:中野 収 歴史的にみると,大衆文化の概念は,1940年代のアメリカで,ヨーロッパから亡命してきたT.アドルノやL.レーベンタールらの社会学者や社会理論家によって展開された大衆文化批判から生まれた。彼らはマルクス主義の影響を受けた人々であり,今日,産業社会では貧困などの古い社会問題の解決はみたが,大衆のもとに見受けられる低俗性,趣味の低さという新しい問題がつくり出されていると指摘した。マルクス主義の思想伝統では,大衆は人類の生み出した普遍的な文化遺産を継承し,普及していく存在であるはずなのに,アメリカ社会にみられる大衆は,低級な映画,漫画,ポピュラー・ソング,エロティシズムが売りものの安雑誌,暴力場面の多いテレビ番組など,いわゆる〈文化のがらくた〉のうちで時間を浪費している。しかも,この状態に満足し,産業社会の構造に完全に吸収されてしまっている,とした。そこでアドルノらは,大衆文化は,社会変革に向けられるべき大衆のエネルギーを吸収しており,その意味で大衆文化はきわめて政治的意味をもっていると批判した。
このような大衆社会批判はL.A.ホワイト,ローゼンベルクなどアメリカの論者たちに受け継がれ,創造的な教養文化は大衆文化によって危険にさらされていると主張された。すなわち,大衆文化は文化産業のもつマス・メディアを介して普及される。文化産業は市場指向的であるから広範な大衆にうける有利な市場を求めるが,大衆の趣味を洗練させ,教養をひきあげることは求めない。そして,文化産業のこの行動は文化を創造する芸術家へもはねかえり,商品としてより多く消費されるものの制作を促す圧力となる。市場への迎合は芸術的水準の高さといったことはもはや省みさせないし,また文化の画一性を招来させる,と説明されたのである。もっとも,このような大衆文化批判は,1950年代になるとエドワード・シルズなどの社会学者により批判されることになる。批判点として,アドルノらの批判はヨーロッパのエリート主義的な教養文化の概念にとらわれすぎており,アメリカのように歴史が新しく,しかも社会的移動が激しく,平準化が進行している社会における文化をとらえるのに意味をもたないことをあげている。そしてアドルノらが大衆社会状況下では人間がアトム化し,焦燥的な気分でいるとしているが,これも一方的な〈偏見〉にもとづいていると批判している。
大衆文化をプラスの方向で評価する人は,今まで少数の人しか享受できなかった知識や芸術が多くの人のものとなっていること,しかも大衆が単に受け手としてだけではなく文化のつくり手として行動する可能性が高いことなどをあげている。たとえば,テレビの視聴者がそれに関連した書物を読む傾向があることも調査によって明らかにされている。また大衆文化の押しつけ性については,マス・メディアを通じて流されたとしても,それを受け入れるか否かは大衆の主体的判断によるのだとしている。大衆文化の性格については,多くの人がさまざまな点から論じているが,大衆社会論同様,論者のイデオロギーや視点(巨視的か微視的か)によって異なっているのである。
執筆者:杉山 光信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報