大谷内新田(読み)おおやちしんでん

日本歴史地名大系 「大谷内新田」の解説

大谷内新田
おおやちしんでん

[現在地名]豊栄市下大谷内しもおおやち

砂丘上に位置し、南はいり村。嘉永二年(一八四九)に建てられた報恩講の碑によれば、元和八年(一六二二)の開発とされる。延宝六年(一六七八)新発田藩の総検地では田七町一反余・畑一町一反余、高一七石三斗余、物成高一五石三斗余(豊栄年表資料)。寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)に家数九・人数六七とある。

大谷内新田
おおやちしんでん

[現在地名]聖籠上大谷内かみおおやち

北は道賀どうが新田、西は丸潟まるがた新田。明暦元年(一六五五)の聖籠新川(猿橋―聖籠)開削に伴う開発と考えられ、同年の開村と伝える(新潟県農地改革史資料)

大谷内新田
おおやちしんでん

[現在地名]頸城村大谷内新田

柳町やなぎまち新田の西に位置し、北西下柳町新田がある。明暦元年(一六五五)に開発のなった中谷内なかやち新田のうち。天和三年郷帳に「大谷新田」とあり、高二八三石余とある。宝永七年(一七一〇)頃と思われる宰浜村々高寄帳(明治大学刑事博物館蔵)によれば田一九町五反余・畑二町六反余・野九六町五反余で、うち田四町二反余が見取場であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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