朝日日本歴史人物事典 「大迫貞清」の解説
大迫貞清
生年:文政8.5.7(1825.6.22)
幕末の薩摩藩士,明治期の官僚。鹿児島の城下生まれ。大迫貞邦の養子。通称は喜左衛門。慶応3(1867)年12月,薩摩遊撃隊を率い筑前太宰府の五卿を迎えた。翌4年1月,鳥羽・伏見の戦に奮闘,東山道先鋒総督の本営付として白河口の戦に奮戦して負傷。明治2(1869)年鹿児島藩参政,翌年権大参事。5年,陸軍少佐,次いで中佐。しかし7年,静岡県権令に転じ9年同県令,16年末まで勤め,同年警視総監。次いで元老院議官,19年に沖縄県令,同年沖縄県知事,20年4月,再度元老院議官。同年5月,勲功により子爵。また,25~27年,鹿児島県知事。27年,錦鶏間祗候。23~29年,貴族院議員。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報