大間知篤三(読み)オオマチ トクゾウ

20世紀日本人名事典 「大間知篤三」の解説

大間知 篤三
オオマチ トクゾウ

昭和期の民俗学者 日本民俗学会理事。



生年
明治33(1900)年4月9日

没年
昭和45(1970)年2月26日

出生地
富山県富山市

学歴〔年〕
東京帝大文学部独文学科〔昭和3年〕卒

経歴
東大在学中、新人会に入り学生運動を指導したが、昭和3年3.15事件に連座、検挙され、後転向。8年柳田國男主宰の郷土生活研究所に入り、「山村調査」「海村調査」に参加、民間伝承の会(後の日本民俗学会)創立に参画した。14年満州建国大学講師として赴任助教授、教授となった。この間、満州原住民のダホール・ゴルジ族のシャーマニズム調査を試みた。引き揚げ後の23年から(財)民俗学研究所に入り、26年理事。「八丈島」「常陸高岡村民俗誌」などを刊行伊豆諸島の族制、婚姻に関する研究を進めた。一方、東京女子大、中央大などでも民俗学を講じた。他の著書に「日本家族制度の研究」「婚姻の民俗学」「伊豆諸島の社会と民俗」、「大間知篤三著作集」(全6巻 未来社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大間知篤三」の意味・わかりやすい解説

大間知篤三
おおまちとくぞう

[生]1900.4. 富山
[没]1970.2.26.
民俗学者。東京帝国大学独文科卒業。家族・婚姻を中心に社会構造の民俗学的研究を進め,柳田国男のもとで研究を行いながら柳田民俗学を批判し続けた。大学在学中から左翼運動に参加し,三・一五事件に連座して検挙されたが,のちに転向して柳田門下で民俗学の研究を開始。 1939年満州の建国大学に招かれ,北アジア諸民族のシャーマニズムの調査研究に従事した。第2次世界大戦後は,柳田とともに『民俗学辞典』や学会機関誌『民間伝承』の編集にあたった。また,全国山村調査を行うなかで,茨城県北部の山村に隠居制に基づく家族を発見,一つの家族でありながら親夫婦と子供夫婦が別々に日常生活を送る形態に衝撃を受け,故郷の北陸の大家族とは大きく異なることから,隠居制家族を基軸とする地域的な家族類型論を展開した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大間知篤三」の解説

大間知篤三 おおまち-とくぞう

1900-1970 昭和時代の民俗学者。
明治33年4月9日生まれ。昭和8年より柳田国男に師事。民間伝承の会(現日本民俗学会)の創立に参加。14年満州(中国東北部)の建国大講師となり,のち教授。戦後は民俗学研究所同人。昭和45年2月26日死去。69歳。富山県出身。東京帝大卒。著作に「八丈島―民俗と社会」「婚姻の民俗学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大間知篤三」の解説

大間知 篤三 (おおまち とくぞう)

生年月日:1900年4月9日
昭和時代の民俗学者。満州建国大学教授
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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