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大韓航空機撃墜事件 だいかんこうくうきげきついじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大韓航空機撃墜事件
だいかんこうくうきげきついじけん

1983年9月1日未明,旧ソ連領のサハリン沖で旧ソ連防空戦闘機によって韓国民間機ボーイング 747型が撃墜され,乗員乗客 269人が死亡した事件。 78年にも大韓航空機がムルマンスク領空を侵犯し,砲撃され不時着したことがあった。いずれも旧ソ連にとって戦略上重要な場所とはいえ,過剰防衛体制によって,大韓航空機は「スパイ機」と映ったものといえよう。旧ソ連はボイスレコーダを文書化した記録を韓国側に渡したが,真相は明らかにされておらず,韓国側は賠償を要求している。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

大韓航空機撃墜事件

1983年9月1日午前3時26分(日本時間)ごろ、米ニューヨークからアンカレジを経由して韓国・ソウルに向かう大韓航空007便が旧ソ連領空に侵入し、戦闘機に撃ち落とされてサハリンの西に浮かぶモネロン島沖合に墜落した。乗員29人と日本人28人を含む16カ国・地域の乗客240人が搭乗していた。遺品や遺体の一部などが稚内から知床半島にかけてのオホーツク海沿岸に漂着した。ソ連は「米国のスパイ機だった」と発表。冷戦構造を背景に、民間機撃墜を非難する日米韓と激しく対立した。83年9月、国連緊急安全保障理事会での対ソ非難決議案の採択でソ連は拒否権を行使した。ソ連崩壊後、ロシアは初めて大韓機からブラックボックスを引き揚げていたことを明らかにし、事件から9年が過ぎた92年から93年にかけて国際民間航空機関(ICAO)など関係機関に提僑ICAOは93年、「飛行ミスで領空を侵犯した大韓機を、ソ連機が近くを飛んでいた米軍の偵察機と間違えて撃ち落とした」とする報告書を発表した。

(2013-09-01 朝日新聞 朝刊 北海道総合)

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百科事典マイペディアの解説

大韓航空機撃墜事件【だいかんこうくうきげきついじけん】

1983年9月1日未明,ソ連のサハリン沖上空で,ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空機(乗客・乗員269人)がソ連軍機に撃墜された事件。大韓航空機がソ連上空を侵犯した理由は不明だが,この地域はソ連にとって戦略的に非常に重要であり,またソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)以来,米ソの軍事的緊張が高まっていたことから,スパイ機と疑われたとも考えられる。
→関連項目危機管理

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大辞林 第三版の解説

だいかんこうくうきげきついじけん【大韓航空機撃墜事件】

1983年9月1日、アラスカ発ソウル行きの大韓航空旅客機がソ連領を侵犯し、ソ連機に撃墜され、乗員・乗客二六九名全員が死亡した事件。

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