危機の概念は、危機が生ずる次元や危機自体の内容に応じて、さらには危機が人災であるか天災であるか、などによってきわめて多岐にわたる。一般的には個人の次元から国内および国際社会、さらには企業などの諸々の組織の次元において生ずる不測の緊急事態といえる。そうした事態を事前に予防したり、危機発生後の対応措置を可及的速やかに講ずることを危機管理という。
[青木一能]
国際的な危機管理は、戦争や紛争といった事態への対応に重心が置かれてきた。危機管理の必要性はとくに第二次世界大戦後における米ソ核戦争の危険性の高まりのなかで認識され、その防止措置が米ソ間で模索されることになった。相互不信に満ちた両国は核兵器の増強を一方で行いつつ、逆説的にはそれをもって相手側の先制攻撃を抑止するという核抑止策を採用した。しかしそれは核兵器の拡大均衡策に陥るにほかならず、1970年代初頭には米ソ核戦争防止協定の締結など一連の危機管理措置が講じられた。また米ソ冷戦下ではキューバ・ミサイル危機、ベトナム戦争や中東戦争などが発生したが、それらが世界的な危機にまでは至らなかったという意味で、米ソ両国の世界に対する危機管理はいちおう作動してきたといえる。しかし東西冷戦が終焉(しゅうえん)するのと軌を一にして、多くの地域や国で戦争が多発する事態に至り、改めて国際的な危機管理装置構築の必要性が指摘されてきた。
[青木一能]
そうしたなかで集団安全保障機構たる国際連合の危機管理能力に注目が集まった。当時の事務総長であったブートロス・ブートロス・ガリは1992年6月に「平和への課題」と題する報告書を安保理に提出し、(1)予防外交preventive diplomacy、(2)平和創造peace making、(3)平和維持peace keeping、(4)平和構築peace buildingの4段階の活動に国連が主導権を発揮し、(2)から(4)では平和執行部隊の常設を通して事にあたるとした。きわめて画期的、挑戦的であったが、そのガリ構想は1993年のソマリア内戦時の国連活動で実施されたものの、ソマリア住民の激しい抵抗の前に結局撤回を余儀なくされたのである。その後の国連の活動は従前のようにPKO(国連平和維持活動)に限定されるようになっている。
国連以外で地域的な危機管理機構として注目されているのが「ヨーロッパ安全保障協力機構」(OSCE)や「ヨーロッパ大西洋パートナーシップ理事会」(EAPC)、アフリカでの「南部アフリカ開発共同体」(SADC)や「西アフリカ諸国経済共同体」(ECOWAS)、東南アジアの「ASEAN地域フォーラム」(ARF)などがある。とくにOSCEはヨーロッパ52か国が参加し、域内での紛争発生を未然に防止すべく諸国間の信頼醸成装置として期待されている。
しかし国際的な危機管理の必要性は戦争といった事態だけではなく、地球的な環境破壊や自然災害といった分野においても求められている。しだいに深刻化する環境破壊に対してこれまでも多くの宣言や規制条約が結ばれてきたが、実質的な効力はなかったといえる。1991年には「地球環境ファシリティ」の設置、1992年には地球サミットでの「アジェンダ21」の採択、1993年にはOECDによる「環境税」の推奨、そして1997年には京都サミットでの「温暖化ガスの規制」などの措置がとられてきた。しかし環境破壊に対する世界的な合意と協調行動がとられているとはいいがたく、国益優先の思考が地球益としての環境保全に優先しているのが現実であろう。
[青木一能]
一方、こうした国際的な危機管理のほかに、各国内において不測の事態の発生に対する対応が図られてきた。なかでも比較的早くから危機管理のための制度上の整備が進められてきたのがアメリカである。1979年には五つの機関を統一して一元化し、アメリカ連邦危機管理庁(FEMA(フィーマ))が創設された。ワシントンの本部を中心に10の地方事務所を設け、長官を頂点に2600人の専従者を擁し、15億ドルの基金を常備している。FEMAの重大事故や事件に対する機動的な活動はよく知られているところである。しかし、2001年9月11日に発生した同時多発テロ、さらにはアメリカ国内に郵便物として炭疽菌(たんそきん)が散布された事件では、大量殺傷型のテロに対する危機管理能力の不足が指摘され、新たな形での危機への対応が模索されている。
[青木一能]
他方、日本政府の国内外における危機対応能力は従前よりけっして高いものとはいえないままにある。1974年(昭和49)の石油危機をはじめ、1991年(平成3)の湾岸戦争における対応など、相互依存の深化のなかで国際的な不測の事態の発生が国内のさまざまな危機を醸成することは明らかである。日本政府は1980年に「総合安保閣僚会議」、1986年に内閣官房に「安全保障室」と「安全保障会議」を設置した。さらに1992年にPKO協力法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)を成立させ、国際的な紛争への対応に関して初めて具体的活動を行う法的措置を講じた。しかし1995年には阪神・淡路(あわじ)大震災が発生し、それへの対応が著しく不備なものとして批判を受けたことは記憶に新しい。そうした事態を受けて1998年には内閣官房に危機管理監と管理監室(内閣安全保障・危機管理室)を設置し、震災や風水害などの大規模自然災害、船舶・飛行機事故や原子力発電所事故などの重大事故、暴動やハイジャック、大量殺傷型テロなどの重大事件、その他日本への武力攻撃などの緊急事態に対応するものとした。しかしそれもまた、アメリカのFEMAに比べて著しく小規模なものであり、国内外で不測の事態が発生する蓋然性(がいぜんせい)が高い現状にかんがみれば、日本政府の危機管理能力の向上は緊急性を要するといわざるをえない。
[青木一能]
『大泉光一著『災害・環境 危機管理論――企業の災害・環境リスク管理の理論と実践』(1995・晃洋書房)』▽『森本敏著『安全保障論――21世紀世界の危機管理』(2000・PHP研究所)』▽『大森義夫著『「危機管理途上国」日本――万一の事態にどこまで対応できるのか?』(2000・PHP研究所)』▽『田中伯知編著、福地建夫著『危機管理の社会学――災害・紛争・シーレーン』(2001・北樹出版)』▽『横浜商科大学公開講座委員会編『危機の時代と危機管理――21世紀の社会を読む』(2001・南窓社)』▽『佐々淳行編著『自然災害の危機管理』(2001・ぎょうせい)』▽『大泉光一著『危機管理学研究』(2001・文真堂)』▽『歳川隆雄著『日本の危機管理』(2002・共同通信社)』▽『大泉光一著『クライシス・マネジメント――危機管理の理論と実践』三訂版(2002・同文舘出版)』▽『木村汎編『国際危機学――危機管理と予防外交』(2002・世界思想社)』▽『滝実著『一人ひとりを大切にする国家――危機管理の原点を求めて』(2002・日本法制学会)』▽『五十嵐敬喜・立法学ゼミ著『都市は戦争できない――現代危機管理論』(2003・公人の友社)』
大学における危機管理は近年,多様な側面で従来以上に関心が高まってきている領域であり,その対象も広がっている。大学の教育・研究活動のみならず社会との関係,さらには当該機関の経営に至るあらゆる領域の諸活動で危機が存在しており,それらを考慮し実際に準備・対応すべき課題は広範に認められる。ここでは危機管理への注目が高まっている背景と危機管理の領域別の対象,および全体ならびに具体例を通して危機管理の原則と現状の課題について取り上げる。
[背景と領域別課題]
教育・研究をめぐる危機管理が注目される背景として,大規模な自然災害の頻発という外因と,国際化の中での教育・研究活動の変化という内因とがあげられる。1995年(平成7)と2011年の未曾有の震災では,被災地の大学で生じた危機への対応が必要となっただけでなく,学生や教職員に関係する直接間接の被災者が学内外に生じたこと,ボランティア活動が盛んになるにつれて,被災地で活動する参加者の安全性も求められるようになったことなどが指摘できる。あるいは鳥インフルエンザ等の突発的な大流行への不安や天候の激変は教育・研究だけではなく入試の実施などにも大きな影響を及ぼしうることが明らかとなってきた。
また研究の国際化および留学や国際交流への関心の高まりを通じて,海外で活動する教職員や学生あるいは日本国内で受け入れている留学生によって引き起こされる,ないし彼らを巻き込むトラブルが,ときには生命にかかわる犯罪をも含む多様なものとなっており,組織としての大学の迅速な対応が必要とされる事例も増加している。国内においても,研究活動の細分化や競争の激化を通じて,調査時や実験設備の安全といった問題だけでなく,研究における不正など倫理的な問題が発生した場合の組織としての対応も問われる事態が生じている。とくに公的補助金によって進められている大規模研究の場合,補助金の返還や対応策の策定と実施までが危機管理の対象となる。
こうした具体的な危機をめぐる対象・活動領域の拡大によって危機管理が問題になるだけでなく,社会全体の変容に応じて危機に対する考え方が変化している点も注目される。たとえば,伝統的なマス・メディアだけでなくインターネット上での情報発散が急速に進行する中で,大学として把握できていない危機が学外で広く周知されてしまう事態,あるいは学生や教職員が新たなメディアを通じてトラブルを起こし,それが組織全体の問題として社会的に認知され,危機対応が問われる事態が頻発している。つまり,大学が組織としての説明責任を要請され,トラブルへの迅速な対応とその説明による状況の統制が必要となっている点が注目される。
さらに,1990年代以降の少子化と大学改革の制度化,さらに2000年代における「大学全入」時代の到来によって,とくに新設小規模私立大学の一部において学生確保や定員充足が困難になってきていることに伴う経営面での危機が具体化している点も無視できない。
[危機管理の原則と課題]
危機管理学の観点からの危機管理の三原則は,多様な危機を事前に防止・回避するための方策を取ること(危機の回避),危機が生じた場合に人的・物的被害を最小限にとどめること(危機管理),および危機から日常への復帰を迅速に進めることと再発防止策を立案すること(事後対応)とされている。これらの観点は教職員や学生個人が直面する危機においても,組織としての大学が直面する危機においても意識しておく必要がある。
ただし,大学や教育機関に関する危機管理の理論や原則をめぐる研究は,まだ事例研究に基づく「事後対応」の知見共有が進められている段階であり,それを踏まえた「危機の回避」に関心が広がりつつある段階である。これまで公表された書籍や論文で「危機の回避」にまで言及しているのはおもに留学生対応をめぐる議論であり,全体としては実際の「危機管理」や「事後対応」の事例紹介が行われている段階である。なお東日本大震災については「事後対応」と「危機管理」の検証を踏まえて,今後の「危機の回避」に関心が向けられてきている。
しかし,たとえば大規模自然災害への対応であれば全学的に知見が共有されるとしても,留学生問題への対応や入試実施をめぐる諸課題,研究の方法・規模をめぐる文理間の危機管理観の差異,学生支援や大学経営に関する問題から生じる危機については,同一大学内でもその知見が共有されるとは限らず,まさに組織・教学マネジメントの課題となる。なお,「危機管理」の状況下では意識されにくいものの,「危機の回避」や「事後対応」を検討するにあたり,費用対効果の観点も無視できないことが本件の対応をさらに困難にしている。
著者: 沖清豪
参考文献: 大泉光一『危機管理学総論―理論から実践的対応へ(改訂版)』ミネルヴァ書房,2012.
参考文献: 国立大学協会『東日本大震災と大学の危機管理―被災した国立大学から学ぶ』一般社団法人国立大学協会,2011.
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国家間の紛争が,核戦争のような危険に発展しないように,事前に危機の回避のための了解や規則の体系をつくろうとする政策を意味する。危機管理の考え方は,1962年10月のキューバ危機ののち,米ソ間で本格的に定着するようになった。キューバ危機のように核戦争の危険を実際にはらむ紛争を避ける目的から,米ソは1963年6月にワシントン~モスクワ間を結ぶ〈ホットラインhot-line〉と呼ばれる政府専用の電信電話回線を設置する協定を生んだ。危機の時点で,米ソの政策決定者たちが,互いのコミュニケーションの方法を確保し,相互の誤解や不信をできるだけ少なくすることによって平和をとり戻そうというのである。米ソはその後,1963年に,イギリスとともに,〈部分的核実験禁止条約〉を結ぶなど,危機管理の政策を核兵器体系の軍備管理arms control政策へと発展させていった。しかし,1970年代のSALT(米ソ戦略兵器制限交渉)の失敗の歴史もあって,核兵器体系のレベルでの危機管理は多くの問題を生じている。とくに核の技術革新や軍拡がめざましいため,核兵器体系の指揮・統制・通信(C3)の問題が困難さをましている。危機管理はまた米ソに限らず,多くの国々で紛争の発展を抑制する方法として,安全保障政策の一環として今日では考えられるようになった。
→軍備管理
執筆者:鴨 武彦
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