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大鳥荘 おおとりのしょう

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大鳥荘
おおとりのしょう

和泉(いずみ)国大鳥郡(大阪府堺(さかい)市西部の鳳(おおとり)付近)にあった皇室領荘園。もともと大鳥郷とよばれた地。条里遺構が認められ、熊野街道も通じることから、開発は早くから進んでいたと考えられる。立荘の事情は不詳だが、13世紀初め、後堀河(ごほりかわ)天皇の母北白河院(きたしらかわいん)に寄進され、以後室町院(むろまちいん)領として伝えられたと考えられている。1224年(元仁1)田代(たしろ)氏が新補(しんぽ)地頭としてこの地に入部。現地支配をめぐって領家(りょうけ)側としばしば争ったが、1311年(応長1)下地中分(したじちゅうぶん)することで結着を図った。しかし、立荘以前からこの地には、摂関家の大番舎人(おおばんとねり)に所領が与えられていたため、その扱いをめぐって、新たに田代氏と大番舎人の争いに発展した。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけては、大番舎人らが周辺の有力名主(みょうしゅ)と結び、実力で田代氏に対抗した。田代氏は南北朝時代には一貫して足利(あしかが)方に従ったこともあり、現地での争いを有利に導き、室町時代に入ると、皇室や大番舎人らの勢力を退け、一円支配を行った。[富沢清人]
『『大阪府史 3、4』(1979、81・大阪府)』

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世界大百科事典内の大鳥荘の言及

【和泉国】より

…両守護の下に守護代,小守護代,郡代が置かれ,両家とも守護職を世襲して戦国時代に及んだ。 南北朝内乱の過程で,荘園制の解体と変質が進んだが,高野山領近木(こぎ)荘(現,貝塚市),摂関家領大鳥荘(現,堺市)などでは,多数の小農民が年貢直納者として荘園領主に把握されており,荘園制は室町期にも崩壊には至っていない。一方,台頭してきた小農民層は団結して年貢減免闘争(荘家(しようけ)の一揆)を起こし,一部の有力農民は商業活動にも手をひろげ,高利貸活動で土地を集積し,地主化する者もあらわれるようになった。…

【田代氏】より

…大鳥郷は摂関家大番舎人の存在するところで,13世紀の中ごろには室町院領の荘園となっている。大鳥荘を相伝した田代氏は,この地を拠り所として,荘園領主や在地勢力(大番舎人,有力名主層)とはげしい戦いを展開するなかで,自己の領主制を発展させていった。85年(弘安8)雑掌との間で和与が成立し,1311年(応長1)には下地中分が行われた。…

※「大鳥荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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