天井桟敷(読み)テンジョウサジキ

デジタル大辞泉 「天井桟敷」の意味・読み・例文・類語

てんじょうさじき【天井桟敷】[劇団名]

歌人劇作家寺山修司主宰により昭和42年(1967)に結成された劇団。創設時の参加者には、横尾忠則東由多加、九條映子などがいる。前衛的演出特徴とし、市街劇や海外公演も行なった。昭和44年(1969)には劇場「天井桟敷館」を開設。昭和58年(1983)5月に寺山病死、同年7月に解散。「演劇実験室天井桟敷」とも。

てんじょう‐さじき〔テンジヤウ‐〕【天井桟敷】

劇場の後方最上階の安価な観覧席
[補説]劇団名別項。→天井桟敷

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精選版 日本国語大辞典 「天井桟敷」の意味・読み・例文・類語

てんじょう‐さじきテンジャウ‥【天井桟敷】

  1. 〘 名詞 〙 劇場で、後方最上階の最下等の席。→大向こう
    1. [初出の実例]「劇場でも天井桟敷で、ほの暗い闇に包まれて」(出典:円形劇場から(1970)〈辻邦生〉)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天井桟敷」の意味・わかりやすい解説

天井桟敷
てんじょうさじき

寺山修司」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の天井桟敷の言及

【劇団】より

…1966年には,東京早稲田の喫茶店2階の小空間をけいこ場兼用の小劇場とする鈴木忠志(ただし)(1939‐ )らの〈早稲田小劇場〉が結成され,佐藤信,串田和美らの〈自由劇場〉(正式名称は〈アンダーグラウンド自由劇場〉)も同年活動を始めた。翌67年には,寺山修司(1935‐83)らが〈天井桟敷(てんじようさじき)〉(正式名称は〈演劇実験室天井桟敷〉)を創設,さらに68年に蜷川幸雄らの〈現代人劇場〉が結成された。自由劇場など3劇団の連絡組織〈演劇センター68/69〉は同じ68年に設置され,70年から同68/70の黒色テント公演が開始された。…

【前衛劇】より

…自由劇場は68年には〈六月劇場〉〈発見の会〉と合同して〈演劇センター68/69〉と改組,さらに70年からは〈演劇センター68/70〉としてトラックで移動する黒色テント公演に入るが,その中でも佐藤は《鼠小僧次郎吉》《喜劇阿部定――昭和の欲情》など多くの好戯曲を執筆・演出して,中心的な役割を果たした。 また,学生時代から短歌や俳句,詩などで早熟な才能を示していた寺山修司は,67年,東由多加(ひがしゆたか),画家の横尾忠則らと〈演劇実験室天井桟敷〉を結成,同年《青森県のせむし男》《大山デブコの犯罪》《毛皮のマリー》を執筆・上演して一躍,脚光を浴びた。これらは都会の暗い密室のなかに,突如として侏儒(しゆじゆ),大女,女装者,美少年などの奇優・怪優を出現させる強く〈見世物〉的な性格を帯びた劇であったが,そのような巧みに演出された反・公的な世界,日常世界の規範によって負の価値を帯びたものとしていわれなく排除された肉体・精神が共存する〈全的な世界〉の中で,われわれの無意識下に潜むさまざまな想念が検証されるのであった。…

【寺山修司】より

…63年,大学祭などで〈家出のすすめ〉を説いてまわり,社会的な話題となる。ボクシング評論,競馬評論なども手がけるが,67年,横尾忠則,東由多加らと演劇実験室〈天井桟敷〉を結成,以後,演劇を中心とした総合的な芸術運動を展開する。はじめ見世物の復権を称えるが,やがて市街劇,密室劇,書簡劇など多彩な実験演劇を試み,代表作《奴婢訓(ぬひくん)》(1978)にいたる。…

※「天井桟敷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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