百科事典マイペディア 「横尾忠則」の意味・わかりやすい解説
横尾忠則【よこおただのり】
→関連項目スウォッチ|日本宣伝美術協会
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グラフィック・デザイナー。兵庫県生まれ。神戸新聞社、日本デザインセンターを経て、グラフィック・デザイナーとして独立。1966年(昭和41)南天子(なんてんし)画廊で個展を開催し、以後、ニューヨーク近代美術館(1972年)、ハンブルグ工芸美術館(1973年)、アムステルダム市立美術館(1974年)と個展を開催、また、69年のパリ青年ビエンナーレ展版画部門大賞をはじめ、72年と74年のワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ展、ブルーノ国際グラフィックアート・ビエンナーレ展、74年の東京国際版画ビエンナーレ展などで次々と受賞して一躍寵児(ちょうじ)となり、75年には毎日デザイン賞を受賞した。土俗的風俗を、挑発的で、ポップ・アート風なコラージュに構成した作風から、ヒンドゥー教的幾何学図形やドレの聖書挿絵などをモチーフとした精緻(せいち)な作風へと移行したが、81年からは画家としての活動を開始し、ニュー・ペインティング風の作風を展開している。代表作に『腰巻お仙』『第6回東京国際版画ビエンナーレ展ポスター』『クリアーライト』など。
[島田康寛]
『『横尾忠則画帖』(1981・美術出版社)』▽『『横尾忠則画集』(1983・神戸新聞社)』▽『『横尾忠則グラフィック大全』(1989・講談社)』
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…自由劇場は68年には〈六月劇場〉〈発見の会〉と合同して〈演劇センター68/69〉と改組,さらに70年からは〈演劇センター68/70〉としてトラックで移動する黒色テント公演に入るが,その中でも佐藤は《鼠小僧次郎吉》《喜劇阿部定――昭和の欲情》など多くの好戯曲を執筆・演出して,中心的な役割を果たした。 また,学生時代から短歌や俳句,詩などで早熟な才能を示していた寺山修司は,67年,東由多加(ひがしゆたか),画家の横尾忠則らと〈演劇実験室天井桟敷〉を結成,同年《青森県のせむし男》《大山デブコの犯罪》《毛皮のマリー》を執筆・上演して一躍,脚光を浴びた。これらは都会の暗い密室のなかに,突如として侏儒(しゆじゆ),大女,女装者,美少年などの奇優・怪優を出現させる強く〈見世物〉的な性格を帯びた劇であったが,そのような巧みに演出された反・公的な世界,日常世界の規範によって負の価値を帯びたものとしていわれなく排除された肉体・精神が共存する〈全的な世界〉の中で,われわれの無意識下に潜むさまざまな想念が検証されるのであった。…
※「横尾忠則」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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