天光軒満月(読み)テンコウケン マンゲツ

20世紀日本人名事典 「天光軒満月」の解説

天光軒 満月(1代目)
テンコウケン マンゲツ

昭和期の浪曲師



生年
明治27(1894)年10月15日

没年
昭和24(1949)年4月30日

出生地
佐賀県基山町

本名
西依 幾蔵

学歴〔年〕
小学校卒

経歴
幼少のころから浪曲家を志し、小学校を出ると同時に地方回りの一座に加わって修業。17歳で独立し、その美声を認められて大阪の浪曲定席「天満国光席」に出演するチャンスに恵まれ、席の名にちなんで“天光軒満月と命名された。150センチ足らずの小男ながら、腹からほとばしる美声のため名声は関東にも知れわたり、「父帰る」「常陸丸」「召集令」「近藤勇」などの名作を残している。


天光軒 満月(3代目)
テンコウケン マンゲツ

昭和期の浪曲師



生年
大正1(1912)年9月6日

没年
昭和58(1983)年11月21日

出生地
大阪府大阪市

本名
山本 憲雄(ヤマモト ノリオ)

主な受賞名〔年〕
大阪文化祭賞,大阪府民教育功労賞

経歴
初代天光軒満月に入門、昭和2年天光軒菊月の名で初舞台。31年、3代目天光軒満月を襲名。満月節といわれた名調子で「父帰る」「乃木将軍伝」などを得意にした。46年から4年間、浪曲親友協会会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「天光軒満月」の解説

天光軒 満月(初代)
テンコウケン マンゲツ


職業
浪曲師

本名
西依 幾蔵

生年月日
明治27年 10月15日

出生地
佐賀県 三養基郡基山町

経歴
幼少のころから浪曲家を志し、小学校を出ると同時に地方回りの一座に加わって修業。17歳で独立し、その美声を認められて大阪の浪曲定席「天満の国光席」に出演するチャンスに恵まれ、席の名にちなんで“天光軒満月”と命名された。150センチ足らずの小男ながら、腹からほとばしる美声のため名声は関東にも知れわたり、「父帰る」「常陸丸」「召集令」「近藤勇」などの名作を残している。

没年月日
昭和24年 4月30日 (1949年)


天光軒 満月(3代目)
テンコウケン マンゲツ


職業
浪曲師

本名
山本 憲雄(ヤマモト ノリオ)

生年月日
大正1年 9月6日

出生地
大阪府 大阪市

経歴
初代天光軒満月に入門、昭和2年天光軒菊月の名で初舞台。31年、3代目天光軒満月を襲名。満月節といわれた名調子で「父帰る」「乃木将軍伝」などを得意にした。46年から4年間、浪曲親友協会会長を務めた。

受賞
大阪文化祭賞,大阪府民教育功労賞

没年月日
昭和58年 11月21日 (1983年)


天光軒 満月(2代目)
テンコウケン マンゲツ


職業
浪曲師

本名
渡辺 敬治

別名
前名=天光軒 小満月

生年月日
明治39年 7月18日

出生地
岡山

経歴
初め16歳で酒井雲に弟子入りしたが、翌年初代満月の門下に移り小満月と名乗る。昭和12年2代目満月を襲名した。

没年月日
昭和45年 6月21日 (1970年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天光軒満月」の解説

天光軒満月(初代) てんこうけん-まんげつ

1898-1949 大正-昭和時代前期の浪曲師。
明治31年生まれ。吉川家小円に入門,17歳で大阪天満の国光(くにみつ)席に出演,芸名は席の名にちなんでつけられた。「父帰る」「常陸(ひたち)丸」「雪の夜話」などを得意とした。昭和24年4月30日死去。52歳。佐賀県出身。本名は西依(にしより)幾蔵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「天光軒満月」の解説

天光軒 満月(初代) (てんこうけん まんげつ)

生年月日:1898年10月15日
昭和時代;平成時代の浪曲家
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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