天山神社(読み)てんざんじんじや

日本歴史地名大系 「天山神社」の解説

天山神社
てんざんじんじや

[現在地名]小城町大字岩蔵字馬場

西谷にしのたににある。由緒記によると、大宝二年(七〇二)創建という。祭神は宗像三女神、すなわち多紀都比売命・市杵島比売命・多紀理比売命の三柱。旧郷社。

当社は天山山頂部にある上宮に対し、下宮にあたる。晴気はるけ天山社厳木広瀬きゆうらぎひろせ(現東松浦郡厳木町)の天山神社もともに下宮である。肥前国天山神は「三代実録」貞観二年(八六〇)二月八日条に従五位下を、仁和元年(八八五)二月一〇日条に正五位を授けられたことがみえる。

建長元年(一二四九)八月日付の僧貞弁領知所々注進状(下総中山法華経寺蔵)に、「天山法華転読免二丁本領主同進士太郎」「天山仁王講田免五反本領主実王房」「天(山カ)赤目宮薗一所本領主実性房 伝主院入道名内也」とみえる。


天山神社
てんざんじんじや

[現在地名]厳木町大字広瀬字谷口

厳木川の上流あま川が渓谷より出てつくる扇状盆地の東端の厳木川の右岸際にある。旧郷社。田心姫尊・市杵島姫尊・湍津姫尊・天御中主神・倉稲魂神を祀る。

「松浦記集成」によれば、持統天皇の代(六九〇―六九七)鎮西対馬異国に襲われ占領されそうになったので、参議藤原安弘に命じ、これを退治させた。安弘はその功により晴気はるけ里(現小城おぎ郡)を賜った。人民が安弘の徳を慕い移り住んだ。この時、天御中主尊を天山山頂に祀った。大宝元年(七〇一)一一月一五日、広瀬ひろせ本山もとやま(現小城郡小城町)岩蔵いわくら(現小城郡小城町)三ヵ所に安弘勧請の天山宮を祀った。それゆえ山頂の宮を上宮、山麓の宮を下宮というと記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の天山神社の言及

【厳木[町]】より

…農業は米作,ミカン栽培を中心に,イチゴなどの施設園芸,野菜,茶の栽培なども行われている。広瀬は古くからの天山の登山口で,天山神社が鎮座する。厳木川には多目的の厳木ダムがある。…

※「天山神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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