岩蔵寺(読み)がんぞうじ

日本歴史地名大系 「岩蔵寺」の解説

岩蔵寺
がんぞうじ

[現在地名]小城町大字岩蔵字馬場

天山てんざん神社と背中合せになって、岩蔵いわくら谷にある。雲海山国寿院岩蔵寺と称し、天台宗本尊薬師如来

由緒記によると、延暦二二年(八〇三)桓武天皇勅願所として草創、開山は聖命とする。四〇世ののち後鳥羽天皇の勅命再興中興開山は葉上(栄西)という。「肥陽古跡記」は、建久年中(一一九〇―九九)葉上僧正が如法経を講ずる時、曾我兄弟の郎党鬼王駄(団)三郎が諸国行脚の途次立ち寄り、聴聞して経筒・大刀を寄進したという話を記す。

建長元年(一二四九)八月日付の僧貞弁領知所々注進状(下総中山法華経寺蔵)に「石蔵山乙護法堂二季彼岸大般若免三丁」がみえる。

六四世乗久の時、鍋島家の祈祷所となる。

岩蔵寺
がんぞうじ

[現在地名]野洲町大篠原

光雲山と号し、天台宗。寺伝では弘仁年間(八一〇―八二四)に最澄によって建立されたという。「輿地志略」に岩倉薬師堂とあり、本尊の鎌倉時代の木造薬師如来立像(国指定重要文化財)、寺蔵の十二神将像ともに最澄作と伝える。薬師如来像は一説に阿弥陀像ともいわれ、野洲やす地域の浄土信仰の広まりを示しているともいう。応永年中(一三九四―一四二八)馬淵氏の祈願寺として再興され、薬師堂のほかに六坊が建てられ、また寺領二〇〇石の寄進を受けたという。同二一年四月二一日の馬淵氏による再興時の大笹原おおささはら神社本殿の棟札(大笹原神社蔵)に奉行次第の供僧として「岩蔵寺 六人」とみえ、また永正一三年(一五一六)六月一三日の屋根葺替えの棟札(同社蔵)に、聖の岩蔵寺梅本坊乗憲と桜本坊円清の名が記される。

岩蔵寺
いわくらでら

[現在地名]生駒市南田原町

南田原みなみたわらの東丘陵にある。岩屋山と号し、真言宗御室派。本尊毘沙門天。延享三年(一七四六)の寺院本末帳(内閣文庫)本堂・熊野権現社・善如龍王社・庫裏・鐘楼堂をあげ、坊中として東光とうこう寺・常福じようふく寺・真福寺・法楽寺を記す。安永三年(一七七四)の十一ケ村村鑑(矢野家文書)に「本堂 毘沙門堂 岩蔵寺 此境内山」とみえ、「大和志」には「岩蔵寺、岩屋邑邑属南田原村号岩屋山、上梁文曰天正七年六月重脩」と記す。

岩蔵寺
がんぞうじ

[現在地名]岩沼市志賀 薬師

志賀沢しがさわ川上流北岸、川を南に見下ろす山腹にある。岩窟山と号し、天台宗。貞観二年(八六〇)慈覚大師開基と伝え、岩沼市では最古の由緒をもつ。現在薬師堂のみがあり、元禄四年(一六九一)の建立という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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