天満本願寺寺内(読み)てんまほんがんじじない

日本歴史地名大系 「天満本願寺寺内」の解説

天満本願寺寺内
てんまほんがんじじない

天正一三年(一五八五)から同一九年まで天満にあった本願寺の寺内町。当時の史料には中島なかじま寺内とみえる。本願寺は織田信長との戦闘ののち同八年石山いしやま(現東区)を退去したが、その後紀伊鷺森さぎのもり(現和歌山市)、和泉貝塚かいづか(現貝塚市)を転々とし、同一三年豊臣秀吉から渡辺わたなべの地に寺地を与えられた。「宇野主水日記」同年四月二六日条に「今度、門跡寺内ニ、渡辺ノ在所ヲ可被仰付由、秀吉被仰也」、同年五月三日条に「中島天満宮ノ会所ヲ限テ、東ノ河縁マデ七町、北ヘ五町也、但屋敷ヘ入次第ニ、長柄ノ橋マデ可被仰渡云々、先以当分ハ七町ト五町也、元ノ大坂寺内ヨリモ事外広シ」とみえる。寺地は中島天満宮(現大阪天満宮)の東側から北側を占めていた。八月三日には草堂(阿弥陀堂)建立に着手(天満別院誌)、同月三〇日には門主である顕如らが貝塚より中島寺内に移ったが、まだ「私宅モチタルモノナシ」(「宇野主水日記」同日条)という状態であった。次いで翌一四年八月一三日の証如三十三回忌を目指して御影堂を建立することになり、同年四月には秀吉の命で寺内河縁の堤普請が始まった(同書同月一五日条)。六月一日には御堂屋敷の地築、七月一九日御影堂棟上、八月三日には移徙の式があり、同月六日から一三日まで証如三十三回忌法会が営まれ、同月一八日には秀吉が御堂を見に訪れている(宇野主水日記・証如上人御一周忌より御法事次第ほか)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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