天目山の戦(読み)てんもくざんのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「天目山の戦」の意味・わかりやすい解説

天目山の戦 (てんもくざんのたたかい)

1582年(天正10)3月11日,甲斐の戦国大名武田氏が滅亡した合戦。織田信長徳川家康の連合軍に攻められて窮地に陥った武田勝頼は,郡内領主小山田信茂の誘いに応じて,3月3日築城したばかりの新府城(韮崎市)に火を放って郡内岩殿城(現,大月市)に向かったが,9日には裏切った信茂に鉄砲を撃ちかけられ行く手をはばまれたので,やむなく先祖の武田信満が上杉禅秀の乱で戦死した天目山(現甲州市,旧大和村)を死地に定め,日川の谷を上った。新府をたったときには700名以上いた武士も次々に去り,わずか四十数名になった。田野(現,旧大和村)に至ったとき,織田勢の先鋒滝川一益,河尻秀隆らに攻められた。勝頼主従は奮戦したが,4000~5000の敵にかなうすべもなく,結局一行は約20名の女房たちともども討死し,勝頼も夫人の北条氏,嫡子信勝とともに自刃して果てた。同年家康はこの地に勝頼主従追悼のために天童山景徳院を建てた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天目山の戦」の解説

天目山の戦
てんもくざんのたたかい

1582年(天正10)3月11日,甲斐国天目山麓の田野(たの)(現,山梨県甲州市大和町)で武田氏が織田信長軍勢に滅ぼされた戦。信長の甲州攻めをうけた武田勝頼は,3月3日に韮崎の新府城を捨て,重臣の小山田信茂の進言で大月の岩殿(いわとの)城にのがれようとしたが,途中で信茂の謀反を知る。さらに滝川一益(かずます)の軍勢に囲まれ,天目山麓で一族・主従とともに自決した。

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