太田松次郎(読み)おおたまつじろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「太田松次郎」の意味・わかりやすい解説

太田松次郎
おおたまつじろう
(1863―1886)

自由民権運動家。文久(ぶんきゅう)3年2月8日、三河(みかわ)国(愛知県幡豆(はず)郡一色(いっしき)村(現、西尾市)の豪商の家に生まれる。早くから自由民権思想に共鳴して内藤魯一(ろいち)らとともに国会開設のため奔走し、自由党本部の党活動をあらゆる面で強力に支えた。1880年(明治13)に「政法論」を草し、翌年には『自由権理論』を出版した。また各地での演説や新聞・雑誌に発表した論説によって、民権家として全国に名を知られるようになった。1883年同郡西尾に、同志と協力して英語学校を設立し、地方の実力を養成し、他日有為の人材陶冶(とうや)することに大いに尽力した。

[日比野元彦]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田松次郎」の解説

太田松次郎 おおた-まつじろう

1863-1886 明治時代の自由民権運動家。
文久3年2月8日生まれ。生家は三河(愛知県)幡豆(はず)郡の豪商。自由民権思想に共鳴し,内藤魯一らと国会開設のために活動。明治14年「自由権理論」を出版し,東京,横浜などで演説した。16年幡豆郡西尾に英語学校を設立し校長となる。明治19年死去。24歳。

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