奥村喜和男(読み)おくむらきわお

改訂新版 世界大百科事典 「奥村喜和男」の意味・わかりやすい解説

奥村喜和男 (おくむらきわお)
生没年:1900-69(明治33-昭和44)

第2次大戦期の代表的革新官僚の一人。福岡県出身。東陽と号す。五高を経て,1925年東京帝大法学部卒業。逓信省に入り無線課長,同盟通信社や満州電信電話会社の設立にも参画。35年内閣調査局設立と同時にえらばれて調査官となり,民有国営方式による経済統制革新性を主張して電力国家管理案を作成,その実現に奔走。しだいに全体主義に傾き,37年企画院設立によって同院調査官となり戦時統制の立案にあたる。41年東条英機内閣成立と同時に,内閣情報局次長に転じた。戦後公職追放となり,東陽通商社長などとして経済界で活躍した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥村喜和男」の解説

奥村喜和男 おくむら-きわお

1900-1969 昭和時代前期の官僚
明治33年1月4日生まれ。逓信省,満州電電などをへて,昭和12年企画院にはいり,国家総動員法を起案東条内閣の情報局次長となり,言論統制などを指導し,革新官僚として知られた。戦後東陽通商(現東陽テクニカ)社長などをつとめた。昭和44年8月19日死去。69歳。福岡県出身。東京帝大卒。著作に「日本政治の革新」など。

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世界大百科事典(旧版)内の奥村喜和男の言及

【革新官僚】より

…革新官僚とは,この新官僚につづく,より若い官僚を指しており,内閣調査局が企画庁となり,さらに日中戦争の全面化とともに,資源局と合して企画院に発展する過程で,総動員計画の作成にあたるようになる経済官僚がその中心になっていた。内閣調査局時代から,企業の所有と経営の分離による公益的統制を主張して電力国家管理案を作成し,その実現に奔走した奥村喜和男(逓信省出身)の活動はその先駆をなすものであり,さらに40年後半の新体制論議のなかで,企画院案として提示された〈経済新体制確立要綱〉は,革新官僚の意図と方向を示すものとして注目を集めた。当時,革新官僚とは,岸信介商工次官,星野直樹企画院総裁ら,すでに満州国での経済統制の経験をもつ高級官僚と企画院の実務を担当している前記の奥村や,美濃部洋次(商工省出身),毛里英於菟(大蔵省出身),迫水久常(大蔵省出身)らの中堅官僚をひとまとめにした呼称として使われている。…

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