日本大百科全書(ニッポニカ) 「東陽」の意味・わかりやすい解説
東陽
とうよう
熊本県中部、八代(やつしろ)郡にあった旧村名(東陽村(むら))。現在は八代市の中央部を占める。旧東陽村は1955年(昭和30)種山(たねやま)、河俣(かわまた)の2村が合併して誕生。村名は、八代郡下の中心地、代陽(旧八代町の別称)の東に位置することに由来する。2005年(平成17)八代市に合併。旧村域は中央部に中生界白亜系の堆積(たいせき)岩の嵌入(かんにゅう)がみられるものの、ほぼ全域古生界秩父(ちちぶ)系の岩石の九州山地北部からなる。起伏の激しい壮年期山地であるため、わずかな緩傾斜地も、八代海に流れ込む氷川(ひかわ)ならびにその支流の河俣川・小浦川沿いにしかなく、しかもそこには巧みに積み上げられた石垣によってモザイク状に仕切られた田畑が展開している。この築造技術は有名な「種山石工(いしく)」の流れをくむもので、村内にも笠松(かさまつ)橋ほかいくつかの堅固な石橋がある。林野率は80%を超えるが、昨今の林業の構造的な不況のため、昭和初期に導入されたショウガ栽培が主産業となっている。氷川、河俣川沿いに整備されつつある2本の主要地方道は、ともに九州山地の深奥山村である八代郡泉村(現、八千代市)、球磨(くま)郡五木村(いつきむら)の林業・観光振興をも意図したもので、これらの地域と旧村域南部に広がる五木五家荘県立自然公園(いつきごかのしょうけんりつしぜんこうえん)の雄大な自然への対応が今後の発展の鍵(かぎ)となっている。
[山口守人]