妙見村(読み)みようけんむら

日本歴史地名大系 「妙見村」の解説

妙見村
みようけんむら

[現在地名]長岡市妙見町

信濃川が石坂いしざか山の西側白岩しらいわ断崖に突当って形成した山麓台地上にできた集落。信濃川右岸の古志こし郡平野部から陸路を魚沼方面に至る要衝の地であり、近世三国街道(現国道一七号)は当村からえのき峠を越え魚沼に入った。村名の妙見は古くは三宅みやけと称したらしい。「延喜式」神名帳古志郡六座のうちの「三宅神社」の論社も当地にあり、天正村名考(温古之栞)に「三宅百二十八軒」と伝えるのも当村のこととされ、「越後名寄」も当村を俗に「ミヨケ」と称すると伝える。おそらく古代の屯倉にちなむ地と思われる。永正年中(一五〇四―二一)から三宅が妙見に変わったとする説もある(温古之栞)が、根拠は不明。


妙見村
みようけんむら

[現在地名]菊池市森北もりきた

いま村の南、花房はなぶさ台地東部にあたる丘陵地の北側に立地する。現在通称乙森北おつもりきた隈府わいふ町高札辻より約二〇町。「国誌」に「里俗下妙見村ト云」とある。天正一七年(一五八九)検地帳に「下妙見村」とみえ、田二町八反五畝余・畠二四町二反三畝余・山畠六町三反五畝余・居屋敷六反九畝余、分米二一〇石余とある。慶長九年(一六〇四)九月の「妙見村」検地帳は上妙見かみみようけん村を合せたものと思われ、田六町二反一畝余、畠・屋敷五六町七反二畝余、分米三七九石六斗余と記されている。宝暦一三年(一七六三)の下ケ名寄帳では惣畝数五二町七反四畝余のうち三三町八反二畝余が上知・給知。河原手永に属し、文化一一年(一八一四)頃の河原手永手鑑に小村の上古閑がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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