妻籠城跡(読み)つまごじようあと

日本歴史地名大系 「妻籠城跡」の解説

妻籠城跡
つまごじようあと

[現在地名]木曾町吾妻 妻籠 城山

南木曾町から国道一九号を南下すると飯田市へ通ずる国道二五六号との分岐点がある。この分岐点の左手真上(木曾川左岸)の小丘が妻籠城跡である。

妻籠城は天正一二年(一五八四)小牧長久手の戦に豊臣秀吉に味方した木曾義昌が築いて、その将山村良勝に守らせた山城である。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦にはこの城を修理して防備しており、寛永諸家系図伝には「慶長五年九月、小笠原信之徳川秀忠に随い、下野より信濃に入り、秀忠より美濃岩村城・木曾妻籠ノ防備を命ぜられた」ことを記し、「寛政重修諸家譜」には「馬場昌次が小笠原信之の副将として信濃国妻籠城を守る」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む