孝元天皇(読み)こうげんてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

孝元天皇
こうげんてんのう

第8代に数えられる天皇。名はオオヤマトネコヒコクニクルノミコト。孝霊天皇皇子。母は皇后クワシヒメノミコト。大和軽境原宮 (かるのさかいはらのみや) に都し,ウチシコメノミコトを立てて皇后とした。陵墓奈良県橿原市石川町の剣池嶋上陵。

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デジタル大辞泉の解説

こうげん‐てんのう〔カウゲンテンワウ〕【孝元天皇】

記紀で、第8代の天皇。孝霊天皇の皇子。名は大日本根子彦国牽(おおやまとねこひこくにくる)。皇居は大和国軽(かる)の境原宮(さかいはらのみや)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

孝元天皇 こうげんてんのう

記・紀系譜による第8代天皇。
父は孝霊天皇。母は細媛命(ほそひめのみこと)。伝説上の人物ともいわれる。「日本書紀」によると,都は軽(かる)の境原(さかいはらの)宮。孝元天皇57年9月2日死去。116歳。墓所は剣池島上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)(奈良県橿原市)。別名は大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

孝元天皇

『古事記』『日本書紀』に第8代と伝えられる天皇。『日本書紀』によれば,孝霊天皇と磯城県主大目の娘,細媛命との間に生まれた。大日本根子彦国牽天皇という。孝霊天皇を片丘馬坂陵(奈良県王寺町)に葬り,軽(橿原市)に境原宮を営んだ。長子の大彦命は阿倍,膳臣,阿閉臣,狭狭城山君,筑紫国造,越国造,伊賀臣ら7氏族の始祖となったと伝えられる。

(大平聡)

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大辞林 第三版の解説

こうげんてんのう【孝元天皇】

記紀所伝で第八代天皇、大日本根子彦国牽尊おおやまとねこひこくにくるのみことの漢風諡号しごう。孝霊天皇の皇子。軽境原宮かるのさかいばらのみやを都とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

孝元天皇
こうげんてんのう

皇室系譜に第8代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)。孝霊(こうれい)天皇の皇子で、母は細媛命(ほそひめのみこと)。孝霊36年に19歳で立太子、孝元元年即位、同4年に都を軽(かる)(奈良県橿原(かしはら)市大軽町付近)の境原宮(さかいはらのみや)に遷(うつ)し、同7年に穂積臣(ほづみのおみ)の祖欝色雄命(うつしこおのみこと)の妹欝色謎命(うつしこめのみこと)を皇后とし、在位57年、116歳(『古事記』では57歳)で没して剣池嶋上陵(つるぎのいけのしまのかみのみさざき)に葬られたという。[星野良作]

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精選版 日本国語大辞典の解説

こうげん‐てんのう カウゲンテンワウ【孝元天皇】

第八代天皇。孝霊天皇の皇子。名は大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)。「日本書紀」によれば、都を大和国軽(かる)の境原宮に定め、在位五七年、一一六歳で没したという。

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