デジタル大辞泉
「孝元天皇」の意味・読み・例文・類語
こうげん‐てんのう〔カウゲンテンワウ〕【孝元天皇】
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こうげん‐てんのうカウゲンテンワウ【孝元天皇】
- 第八代天皇。孝霊天皇の皇子。名は大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)。「日本書紀」によれば、都を大和国軽(かる)の境原宮に定め、在位五七年、一一六歳で没したという。
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孝元天皇
こうげんてんのう
皇室系譜に第8代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)。孝霊(こうれい)天皇の皇子で、母は細媛命(ほそひめのみこと)。孝霊36年に19歳で立太子、孝元元年即位、同4年に都を軽(かる)(奈良県橿原(かしはら)市大軽町付近)の境原宮(さかいはらのみや)に遷(うつ)し、同7年に穂積臣(ほづみのおみ)の祖欝色雄命(うつしこおのみこと)の妹欝色謎命(うつしこめのみこと)を皇后とし、在位57年、116歳(『古事記』では57歳)で没して剣池嶋上陵(つるぎのいけのしまのかみのみさざき)に葬られたという。
[星野良作]
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孝元天皇 こうげんてんのう
記・紀系譜による第8代天皇。
父は孝霊天皇。母は細媛命(ほそひめのみこと)。伝説上の人物ともいわれる。「日本書紀」によると,都は軽(かる)の境原(さかいはらの)宮。孝元天皇57年9月2日死去。116歳。墓所は剣池島上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)(奈良県橿原市)。別名は大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)。
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孝元天皇
『古事記』『日本書紀』に第8代と伝えられる天皇。『日本書紀』によれば,孝霊天皇と磯城県主大目の娘,細媛命との間に生まれた。大日本根子彦国牽天皇という。孝霊天皇を片丘馬坂陵(奈良県王寺町)に葬り,軽(橿原市)に境原宮を営んだ。長子の大彦命は阿倍臣,膳臣,阿閉臣,狭狭城山君,筑紫国造,越国造,伊賀臣ら7氏族の始祖となったと伝えられる。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
孝元天皇
こうげんてんのう
第8代に数えられる天皇。名はオオヤマトネコヒコクニクルノミコト。孝霊天皇の皇子。母は皇后クワシヒメノミコト。大和軽境原宮 (かるのさかいはらのみや) に都し,ウチシコメノミコトを立てて皇后とした。陵墓は奈良県橿原市石川町の剣池嶋上陵。
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