日本大百科全書(ニッポニカ) 「孟郊」の意味・わかりやすい解説
孟郊
もうこう
(751―814)
中国、中唐の詩人。字(あざな)は東野(とうや)。貞曜(ていよう)先生と称される。湖州武康(浙江(せっこう)省武康県)の人。40歳を過ぎて科挙に応じ、796年(貞元12)に及第。800年、50歳で初めて溧陽(りつよう)(江蘇(こうそ)省)の尉(い)に任ぜられた。しかし意を得ずにやがて辞任。のち洛陽(らくよう)で職を得たこともあるが、おおむねは不遇のうちに過ごし、興元(陝西(せんせい)省)節度使の鄭余慶(ていよけい)に招かれて赴任する旅先に死んだ。硬質な印象を与える難解な語句を多用し、沈鬱(ちんうつ)な調子をもつその詩は、のちに蘇東坡(そとうば)から賈島(かとう)とともに「郊寒島痩(そう)(孟郊は寒々とし、賈島はやせ細っている)」と評されたが、同時代の韓愈(かんゆ)らは漢魏(ぎ)詩の風韻をもつとして高く評価した。韓愈とは親交があり、「孟詩韓筆(詩は孟郊で文章は韓愈)」と並称される。『孟東野詩集』10巻がある。
[齋藤 茂]