学徒勤労動員(読み)がくときんろうどういん

精選版 日本国語大辞典 「学徒勤労動員」の意味・読み・例文・類語

がくと‐きんろうどういん‥キンラウドウヰン【学徒勤労動員】

  1. 〘 名詞 〙がくとどういん(学徒動員)

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百科事典マイペディア 「学徒勤労動員」の意味・わかりやすい解説

学徒勤労動員【がくときんろうどういん】

太平洋戦争中に強行された学生生徒の産業部門への動員。1938年の文部省通牒(つうちょう)により,すでに学生・生徒は長期休業中に3〜5日勤労奉仕することを義務づけられていたが,1943年6月東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ,1944年1月勤労動員は年間4ヵ月を継続して行うことが義務づけられ,3月には通年実施と決定。4月からは中等学校3年以上はほとんど動員され学校教育は事実上停止となった。→国民徴用令
→関連項目勤労動員山口仙二

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「学徒勤労動員」の解説

学徒勤労動員
がくときんろうどういん

第2次大戦下の戦時経済運営上の労働力不足を補うためにすすめられた,国家による学生・生徒の強権的動員。戦争拡大にともない軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため,政府は1943年(昭和18)6月学徒戦時動員体制確立要綱を閣議決定し,学徒の軍需部門への勤労動員を一段と強化した。翌年3月には「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」で,学徒全員工場配置が閣議決定された。45年3月には本土決戦体制にむけた極限的勤労動員体制の一環として,決戦教育措置要綱において1年間の授業停止による学徒勤労総動員の体制がとられた。終戦時の学徒動員数は340万人以上。

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旺文社日本史事典 三訂版 「学徒勤労動員」の解説

学徒勤労動員
がくときんろうどういん

日中戦争・太平洋戦争下に行われた学生・生徒の労働力動員
国内の労働力不足を補うために,1941年国民勤労報国協力令で軍需工場への動員を開始。'43年学徒出陣とともに動員の強化が決まり,'44年学徒勤労動員令で中等学校以上の全員を工場などへ配置した。'45年には授業停止となり,学校教育の機能は完全に失われた。

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