宇都宮朝綱(読み)うつのみや・ともつな

朝日日本歴史人物事典 「宇都宮朝綱」の解説

宇都宮朝綱

没年:元久1.8.6(1204.9.1)
生年保安3(1122)
鎌倉前期の武将。八田宗綱の子,三郎,左衛門尉を称する。鳥羽後白河上皇武者として仕え,治承・寿永内乱期の寿永1(1182)年に下野に帰国して,源頼朝に属した。文治5(1189)年の奥州合戦に参陣して戦功を挙げた。建久5(1194)年伊勢皇大神宮および下野国司の訴えにより,朝廷から公田100町余の押領の罪に問われ一時土佐に配流された。のち許されて,下野国益子の尾羽寺(阿弥陀寺)に出家遁世して重阿弥陀仏と称し,仏道三昧の余世を送った。尾羽寺は夭折した子息業綱の菩提を弔うため建立した寺である。<参考文献>『宇都宮市史』3巻

(峰岸純夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇都宮朝綱」の解説

宇都宮朝綱 うつのみや-ともつな

1122-1204 平安後期-鎌倉時代の武将。
保安(ほうあん)3年生まれ。八田知家の兄。源頼朝の挙兵にくわわり,頼朝から下野(しもつけ)(栃木県)宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社社務職本領を安堵される。建久5年公田横領の罪で一時土佐(高知県)に流され,のち下野大羽に隠居し,地蔵院綱神社をたてた。元久元年8月6日死去。83歳。通称は三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の宇都宮朝綱の言及

【宇都宮氏】より

…中世の下野国の豪族。出自については,下毛野(しもつけぬ)氏,中原氏,藤原氏など諸説がある。家伝では大織冠藤原鎌足の後裔で関白藤原道兼の流れをくみ,道兼の曾孫宗円が前九年の役のとき下野国に下向し,宇都宮座主となったのにはじまるという。下野一宮の神主を世襲して下野国中央部に勢力をもち,宗円の孫朝綱は平氏に属し,さらに後白河院の北面をつとめたとされる。朝綱はのちに源頼朝に従って各地で戦功をあげ,宇都宮社務職を安堵されて宇都宮氏発展の基礎を築いた。…

※「宇都宮朝綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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