朝日日本歴史人物事典 「宇都宮朝綱」の解説
宇都宮朝綱
生年:保安3(1122)
鎌倉前期の武将。八田宗綱の子,三郎,左衛門尉を称する。鳥羽・後白河上皇に武者として仕え,治承・寿永内乱期の寿永1(1182)年に下野に帰国して,源頼朝に属した。文治5(1189)年の奥州合戦に参陣して戦功を挙げた。建久5(1194)年伊勢皇大神宮および下野国司の訴えにより,朝廷から公田100町余の押領の罪に問われ一時土佐に配流された。のち許されて,下野国益子の尾羽寺(阿弥陀寺)に出家遁世して重阿弥陀仏と称し,仏道三昧の余世を送った。尾羽寺は夭折した子息業綱の菩提を弔うため建立した寺である。<参考文献>『宇都宮市史』3巻
(峰岸純夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報