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書籍 ショジャク

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デジタル大辞泉の解説

しょ‐じゃく【書籍】

しょせき(書籍)」に同じ。
「毫も―の価値を解して居らん」〈漱石吾輩は猫である

しょ‐せき【書籍】

文章・絵画などを筆写または印刷した紙の束をしっかり綴(と)じ合わせ、表紙をつけて保存しやすいように作ったもの。巻き物に仕立てることもある。多く、雑誌と区別していう。書物。本。図書。しょじゃく。→電子書籍

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大辞林 第三版の解説

しょじゃく【書籍】

〔「じゃく」は呉音〕
しょせき(書籍) 」に同じ。 「 -目録」 「数の知れぬほどの書棚ほんだなに、-がギシ〱詰つて居ました/小公子 賤子

しょせき【書籍】

本。書物。図書。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

書籍
しょせき

記録、情報の保存・伝達、知識の普及を目的として、文字、絵画、図案、写真などを、印刷または手写した紙葉を繙読(はんどく)しやすいように順序よく綴(と)じ、表紙でくるんだもの。本、書物、図書、典籍、書冊、書策などは同義。書籍の材料、形態は歴史上著しい変遷を経ており、一定していない。紙と活版印刷術の出会い以後は、世界各国ほぼ共通の様式をとって急速な発達をみせているが、各国とも紙と活版印刷術の結合をみる前は、異なる形態、発展の過程をもっている。20世紀末に至っては電子書籍などの出現があって、将来も変貌(へんぼう)が予想されていて定義しにくいが、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、1964年の総会において、「書物の生産および定期刊行物に関し統計の国際的基準を設ける勧告案」を採択して、出版統計上の定義をした。勧告では、裏表の表紙4ページを除いて、本文が49ページ以上の非定期刊行物をブックbook、5ページ以上49ページ未満の小冊子をパンフレットpamphletとしている。なお、次のものは出版統計に含めないことになっている。
(1)広告を目的として発行したもの
(2)すぐ消えてなくなる泡沫(ほうまつ)的な印刷物
(3)本文がもっとも重要な部分でないもの
 なお、書籍を研究対象とする学問を書誌学という。[小林一博]

中国

語義上、書は竹帛(ちくはく)に筆で著すこと、文字で書いた記録のこと。籍は竹の札(ふだ)。典は書物を机の上に置いた状態。竹帛の竹は竹の札、帛は絵絹(えぎぬ)のこと。1行に書いたものを簡、数行にわたるものを方、簡や方を束ねたものを冊(策)といった。以上の字義が示すとおり、中国の書籍の原形は竹簡(ちっかん)・木簡(もっかん)を束ねたものである。竹簡・木簡から紙への筆写、紙への印刷へと発達するのに伴って書籍の形態は変化した。竹、木、布が書写の主材料となるのは、秦(しん)(前221~前207)時代の前である。竹は表をあぶって青みを除き、初期は漆で1行に8~30字余を書いた。のち、油煙墨が開発される。竹簡の長さは6寸~約2尺(約18~60センチメートル)。上下に穴を一つずつあけ、上等品には韋(なめしがわ)を、下等品には糸を通して簾(すだれ)状に連ねた。これが冊(册)である。読書に熱中する意の「韋編三絶(いへんさんぜつ)」は、繰り返しての繙読により、綴じた紐(ひも)が切れるさまから出たことばである。木簡は長さ5寸~2尺(約15~60センチメートル)、幅は7分(約2センチメートル)前後。木簡には幅広の四方形があり、数行以上の長文用とした。これを方という。絹は今日も使われているが、高価なため一般化しなかった。
 竹簡・木簡が出現する前には、中国では木や石に文字を彫って粘土への捺印(なついん)が行われた。周(前1122ころ~前256)時代、印は竹簡などの割り符用にも使われた。秦、漢(前202~後220)時代、玉(ぎょく)、金、銀、銅、象牙(ぞうげ)、サイの角(つの)が印材になった。初期の印は、捺印すると文字の部分が白く表される陰刻で、のちに文字を浮彫りにする陽刻の方法が考案された。インキは最初は漆、朱、のちに油煙墨も用いられた。印章は凸版印刷の原理を導き出した素材である。なお、印章発生の前、殷(いん)(?~前1122ころ)時代に、亀甲(きっこう)、牛骨に文字、記号を刻印した甲骨文字、青銅器への彫刻がある。古代に石刻された経典を石碑から摺拓(しょうたく)する例は2世紀ごろから盛んになった。筆は紀元前3世紀ごろには筆記具として実用化されているが、周代、角箸(つのばし)に漆をつけて書いた前史があり、秦の時代から毛筆と墨になった。前1世紀ころには、現在の中国墨とほぼ同様な油煙墨が使用された。
 紙の発明は105年、蔡倫(さいりん)が、樹皮、麻、ぼろ、漁網を材料として抄造(原料を抄(す)いて紙を製造すること)したとなっているが、蔡倫は製法の改良指導者であろう。紙の発明後、巻子本(かんすぼん)(巻物)が創案された。紙を横につなぎあわせ、末端を軸に巻き付け、先端には押え竹、押え竹の中央に紐をつけて結ぶ巻子本は、彩飾技術の発達を促した。書物の数をいう「巻」の語は、この巻子本から出ている。巻子本の形態は今日に伝承されているが、長尺の巻子本は、必要な箇所を検索するのに不便であることから折本が考案された。織布で装飾した板状の表紙を前後につけ、本文を表紙の大きさに折った折本は、現在、仏教の経典類に形を伝えている。折本の背の部分を糊(のり)でつけ綴じたのが旋風葉本(せんぷうようぼん)である。旋風葉の形式にくふうを加え、紙をつなぎあわせにせず、1枚1枚重ねて、紐で綴じたのが、和装本(和本)の原型になる冊子本である。
 木版印刷の方法は、唐時代(618~907)に発明された。後述するように、日本で760年代に『百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)』が木版印刷されていることから推定して、中国での発生は遅くとも700年前後と考えられている(なお、印刷方法については銅版とする説もあり、いまだ判明していない)。刊行年を明記した中国の最古の印刷書は『金剛般若波羅蜜経(こんごうはんにゃはらみつきょう)』である。1900年托鉢(たくはつ)僧王円(おうえんろく)が、古代の写本類が貯蔵されていた敦煌(とんこう)の千仏洞(莫高窟(ばっこうくつ))を発見してから7年目に、イギリスの探検家スタインがその敦煌文書のなかにみつけた。仏画と金剛経を印刷したこの巻子本は長さ約4.86メートル、幅約30センチメートル。7枚の紙を糊でつなぎあわせたもの。「咸通(かんつう)九年四月一五日(868年5月11日)王珍為二親敬造普施」の刊記が、末尾に印刷されていた。『金剛経』が900年以上密閉されていた洞窟には、1万5000以上の経本、断片類が保存されていたというが、大部分は写本で、印刷本は数部しか発見されていない。巻子本形式から冊子本に移り、木版印刷が最盛期を迎えるのは宋(そう)時代(960~1279)である。宰相馮道(ふうどう)の指導によって始められた五経をはじめ各種の経書の出版は、21年かかって宋時代直前の953年に完成した。宋代印刷の木版本は、世界でもっとも美麗、良質とされている。宋代には官営のほか民間での印刷も行われた。11世紀初頭には陶活字、続いて木活字、金属活字も考案されたが、木版印刷を駆逐するには至らなかった。[小林一博]

西洋

人間は文字を創案する前に、絵や、絵を記号化した記録の保存の方法を知っていた。旧石器時代、呪術(じゅじゅつ)的信仰から洞窟の壁面に動物群像の彩飾、彫刻、線刻が残されている。北スペインのカンタブリカ山脈の北斜面のアルタミラ洞窟や、フランスのドルドーニュ地方のラスコー洞窟などにその壁画がある。紀元前5000年ころからメソポタミアでは彩色陶器がつくられる。良質の粘土が豊富だったからである。青銅器時代が始まり、前3500~前3000年ころに、シュメール人は、人類最初の文字、楔形(くさびがた)文字の使用者になるが、世界最古の本、粘土板本もシュメール人によって前3000年から少なくとも前2100年につくられたと推定されている。シュメール人は柔らかい粘土板(クレー・タブレットclay tablet)をつくり、葦(あし)や木片で楔形文字や図柄を刻み、天日に乾かしたうえ、窯で焼いて陶板にした。このクレー・タブレットは火、水に強く、地中に埋めても腐食することなく、記録の保存に最適の性質をもっていたが、重くて運搬や繙読には不便だった。契約書など商取引の記録、建造物の記録に用いた。形、大きさは一定していないが、アッシュール・バニパル王(在位前668~前627?)の宮殿趾(し)の図書館とみられる場所から2万部以上の陶板が発掘されている。
 象形文字を早くからもったエジプトは、少なくとも前3000年ころにはパピルスを発明し、書写材料として使っている。パピルスの記録は巻物の形をとって木や粘土の甕(かめ)に入れられて保存されたため、今日も多数現存している。植物性繊維を原料としたところから、紙の最初の発明とする説もあるが、パピルスと中国で発明された紙の抄造法とは原理上異なる。繊維を2層に直角に並べて押圧を加えてつくったパピルスは、表と裏では繊維の方向が違うため、つなぎあわせて片面だけに筆写された。このパピルスの出現で筆写は滑らかになり、象形文字は原型を失った。末端に軸をつけて装飾を施したことなどは、中国の巻子本と同様のくふうである。なお、紙を意味する英語のペーパー、ドイツ語のパピール、フランス語のパピエなどはパピルスを語源とする。長尺ものは主として王族などの墓に埋葬する儀式用の「死者の書」用にされた。大英博物館にあるラムセス2世の治世をたたえた年代記のパピルスは約40メートルもある。プトレマイオス朝の首都であったアレクサンドリアに設けられていた図書館には70万巻以上のパピルスが所蔵されていたといわれている。
 エジプトで発明されたパピルスは、前7世紀にギリシア、前3世紀にはローマに移入され、6世紀ころまではおもな書写材料の位置を占めていた。ローマ教皇庁では、皮紙が移入されたあとも、11世紀ころまで重要文書にはパピルスを使用し、皮紙はノート用など雑用紙として使われる状態であった。このパピルス最盛期に書写材料として新たに発明された羊皮紙、犢牛(とくぎゅう)皮紙はパーチメントparchmentと称されているが、一つのエピソードを伴って誕生した。小アジアのヘレニズム時代、ペルガモンの王エウメネス2世(在位前197~前160)は、アレクサンドリアの図書館に比肩する図書館の建設を計画した。当時アレクサンドリア図書館の司書官で文献学者であったアリストファネスを招聘(しょうへい)しようとしたところ、エジプト王プトレマイオス5世(在位前203~前180)が激怒してアリストファネスを投獄、パピルスの輸出を禁止してしまった。エウメネス2世はやむなく、小アジア地方に産出するウシ、ヒツジの皮革の活用を考え、子ウシ、子ヒツジの皮を書写材料とすることにした。皮を洗い、毛を除き、軽石で滑らかに磨き、チョークで仕上げた皮紙は白く、パピルスのように折り目から裂けることなく、書写材料に適する性質をもっていた。ローマとペルガモンの提携により、皮紙は輸出され、ローマの文化に大きな影響を与えることになるが、パピルスと交代するにはなお数百年を要した。
 ローマ時代には、ヨーロッパ各地の僧院に書写のための写本工房が設けられた。書写の中心になったのは僧侶(そうりょ)、奴隷である。前207年ローマに写字生の同業組合が発生した、との説もある。写本工房には3種あった。広間の中央に大きなテーブルを置き、壁に向かっては小机を並べ、図書館の役割ももつもの、小さな個室で著作もできるもの、多数の写字生を回廊で作業させる例もあった。1人が読み手になり、十数人の書写僧が一斉に筆写した例も記録にある。各写本工房は3~20人の写字生を抱え、写本係、飾り文字や細密画を施す装飾画家、校閲者がおり、製本は製本師が行った。作業量は1ページ20行を1日15ページなどの程度である。皮紙の本が増えるなかで、冊子本の方法が考案された。パピルスは折り目が裂けるために折本にできなかったが、皮紙もまた、じょうぶで弾力性が強すぎて折本にならなかった。しかし、記録の長文化するなかで、金属板、木板、豚皮による表紙でくるむ製本方法が創案された。これが現在の洋装本(洋本)の原型となる。
 初期の冊子本の対象は聖書などが主であったので、書物自体神聖視され、装本(装丁)は美術工芸の位置を求めることになる。同時に書物は僧侶、貴族に占有されることにもなった。書物が貴重な時代の金属製本は机に鎖で固定するため、鍛冶(かじ)師の手を借りなければならなかった。ローマでは、ローマ人によって蝋板(ろうばん)本が考案された。ブナなどの板の中央部を長方形にくりぬき、そこに黄色、黒色の蝋を塗り込め、金属製の筆スチルスstilusで文字を書いた。蝋文字は簡単に消すことができるため、往復書信やノートに用いられた。蝋板2枚を綴じ、紐で結んで封印すれば内容がのぞかれず、受け取った相手は文字を消して返信をしたためることができるので、18世紀ころまで実用にされた。
 中国で発明された紙は、650年にサマルカンドに達したあと、800年ころエジプト、950年ころスペイン、1150年にイタリア、1228年にドイツに到達した。中国からサマルカンドまで約500年、ヨーロッパ全域に伝播(でんぱ)されるにはさらに500年かかったことになる。なお、紙の抄造がサマルカンドで行われるのは750年ころ、エジプトは900年、スペイン1150年、イタリア1270年ころ、ドイツ1300年代である。
 ヨーロッパでの木版印刷開始の時期ははっきりしていない。刊行年のわかっている最古は1422年である。しかし、日本で初期の木版印刷から本格的な活版印刷まで1000年以上かかったような歳月をヨーロッパは必要とせず、木版から活版へ移行する期間は数十年間だろうと推定されている。つまり、1450年にはマインツの人、グーテンベルクによって、ブドウ絞り機を改良した印刷機と、鉛合金を鋳造した活字が発明されたとされる。活版印刷術の始まりである。この時点で、近代の書物製作方法の基盤が完成される。[小林一博]

インド

シュロ科のターラ樹を素材とした書写の材料が開発された年代は明らかにされていない。3メートルにもなる扇状の葉を乾燥させ、長さ45~60センチメートル、幅7センチメートルほどに切り、葉の上にのみで彫るか、葦筆でインキで書いたのが貝多羅(ばいたら)または貝多羅葉(よう)である。数十葉を重ねる場合は、一定の場所に穴をあけ、糸を通して板に挟んで保護する。この使用法は現存している。[小林一博]

日本

現存する世界最古の印刷物『百万塔陀羅尼』は法隆寺などに所蔵されている。称徳(しょうとく)天皇の764年(天平宝字8)から770年(宝亀1)までに、恵美押勝(えみのおしかつ)の乱平定の謝恩に、4種の陀羅尼経(根本、相輪、自心印、六度)を100万枚木版(銅版の説もある)で印刷し、高さ約20センチメートルの三重の木塔の塔芯(しん)をくりぬいて、1葉ずつ納め、10の大寺に10万基ずつ寄進した。幅約6センチメートル、長さ46~50センチメートルの護符にすぎなかったが、100万枚印刷した事実は、印刷術の習熟を物語っている。製紙法は610年高句麗(こうくり)の僧曇徴(どんちょう)によってもたらされ、コウゾを素材にした独特の抄造法が行われていた。『続日本紀(しょくにほんぎ)』には740年(天平12)五位以上に摺衣(すりごろも)を授けたとの記述がある。この前に印刷術は渡来していたわけである。花や草の模様を板面に彫刻し、絹を板締め染めしたのが摺衣である。しかし、せっかくのこの印刷術もそのままで発展しなかった。寺院、貴族の間で写経、彫仏の功徳(くどく)が説かれ、手写に重点が置かれたからである。なお、日本人の手による初めての著作は聖徳太子の『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』とされている。木簡は、奈良県明日香(あすか)村の伝承飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)跡とよばれる飛鳥時代の宮跡から、649年(大化5)から664年(天智天皇3)の間につくられたと推定されるものが、1976年(昭和51)出土している。冠記(冠位の記録)、荷札、帳簿として使われたものである。平安期に入ると装飾経が登場し、日本でも写本は美術工芸品の位置を獲得することになる。巻子本から折本、旋風葉と中国から輸入された製本法とともに、日本独特の製本法である和装本(和本)も開発された。
 その後、鎌倉時代から江戸時代初期にかけて木版印刷が興隆し、嵯峨本(角倉本、光悦本ともいう)において木版本は頂点に達する。一方、1590年(天正18)、少年遣欧使節団(天正遣欧使節)の帰国とともにイタリア人バリニャーノが鉛活字による活版印刷術を伝え、キリシタン版とよばれる一連の印刷物がつくられたが、これはキリシタン禁制とともに禁止された。同時期、朝鮮に出兵したおりに持ち帰ってきた朝鮮の銅活字によって慶長勅版などが印刷された。しかし、銅活字の鋳造技術の習熟が難儀だったため、江戸時代は木版印刷に戻ってしまう。日本における鉛活字による活版印刷は江戸時代末期に再興する。明治に入り本木昌造(もときしょうぞう)らによって活版印刷術が新たに導入・確立され、以後1980年代まで出版物製作は、この活版印刷が主として利用された。
 鉛活字による印刷を衰退させる前触れとなるのは、1924年(大正13)、森沢信夫と石井茂吉によって写真植字機が開発されたことによる。写植方式の本格的な普及は1950年代後半からであるが、この写真植字方式が80年代の電算植字(CTS)時代への幕開けの役割を果たしたといえる。大手印刷会社でCTS化が始まるのは1971年(昭和46)ごろ、新聞社のCTS化は1970年代後半である。78年には東芝がワードプロセッサーを開発。当初、ビジネス文書作成機として市場に登場したワープロは、80年代には急速に出版業界に普及。これにあわせる形で1970年代末にパーソナルコンピュータのブームが起こり、80年代に入ると出版社でパソコンの導入が始まる。さらに、アメリカのアップル社が84年に開発したマッキントッシュの登場によって、DTP(デスクトップ・パブリッシング)の時代に急展開し、出版物の編集・製作は一挙にコンピュータ化時代に突入した。主要印刷会社においては90年代初頭までに鉛活字による活版印刷はほぼ消滅し、活版印刷による出版物の製作は、愛好家による特殊な例のみとされている。
 1990年代以降、インターネットが急速な普及をみせ、オンライン出版やオン・デマンド出版など新たな試みが始まった。通信・コンピュータ技術の発展によって、情報伝達の方法・技術が大転換をみせると同時に、出版物の製作方法、形態、流通は、現在では予見できないほどの変化を示し続けているといえる。1990年代前半までは、紙の書籍を電子化したCD-ROMなどの媒体をおもに電子書籍と称していたが、90年代後半にはインターネットなどの通信回線を利用して、コンテンツをダウンロード(ホストコンピュータからデータを転送すること)して、パソコン画面などで読むものを含めて電子書籍、あるいはeブックなどとよぶようになっている。また、書籍製作のコンピュータ化は、企画編集、印刷の仕事を大きく変え、さらに電子書籍が普及すれば、製作面だけでなく、書籍の内容や表現方法をも変えていくことになると予想される。[小林一博]
『イリン著、八住利雄訳『書物の歴史』(1951・岩崎書店) ▽E・グロリエ著、大塚幸男訳『書物の歴史』(白水社・文庫クセジュ) ▽寿岳文章著、布川角左衛門編『書物とともに』(冨山房百科文庫) ▽T・F・カーター著、L・C・グドリッチ改訂、藪内清・石橋正子訳『中国の印刷術』全2巻(平凡社・東洋文庫) ▽H・プレッサー著、轡田収訳『書物の本』(1973・法政大学出版局) ▽高宮利行・原田範行著『図説本と人の歴史事典』(1997・柏書房) ▽印刷史研究会編『本と活字の歴史事典』(2000・柏書房) ▽L・フェーブル、H・J・マルタン著、関根素子・長谷川輝夫・宮下志朗・月村辰雄訳『書物の出現』(ちくま学芸文庫)』

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世界大百科事典内の書籍の言及

【出版】より

…出版とは人間の思想を公表・伝達するために,パッケージとしての書籍や雑誌を製作,発行,販売する一連の営みのことである。書物は古代以来,粘土板,パピルス,羊皮紙,絹,それに紙など,さまざまな材料を用いて,筆写,印刷などの手段により,さまざまな形態で作られ,時間と空間の制約を超えて伝えられてきた。…

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