守福寺(読み)しゆふくじ

日本歴史地名大系 「守福寺」の解説

守福寺
しゆふくじ

[現在地名]岡山市下足守

龍王りゆうおう山南谷の寺坂てらさかにある。臨済宗東福寺派。宝戒山と号する。本尊子安地蔵。「備中誌」は天台宗修福寺を前身とし、諸堂も多く除地ももつ大寺であったとする。「中国兵乱記」などには朱福寺の表記が散見する。天正一〇年(一五八二)住持権寂が冠山かんむりやま城主旧友のよしみで寺僧すべてが同城に籠城。あとの寺地には羽柴秀吉側の兵が拠り、同城をめぐる戦いで当寺も荒廃したという(吉備の志多道)。のち同一八年安富四郎右衛門なる人物が再興中興開山は伯翁宗順。寺屋敷は正保三年(一六四六)の検地以後除地で、山林は二町九反余(「賀陽郡・上房郡寺社改帳」総社市史編さん室蔵)。足守藩家老杉原氏の菩提所で、その墓がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む