デジタル大辞泉 「守覚法親王」の意味・読み・例文・類語 しゅかく‐ほうしんのう〔‐ホフシンワウ〕【守覚法親王】 [1150~1202]平安末期から鎌倉初期の僧。後白河天皇の第2皇子。仁和にんな寺第6世となる。和歌・書道にすぐれた。著「北院御室御集」「野月鈔」など。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「守覚法親王」の意味・読み・例文・類語 しゅかく‐ほうしんのう‥ホフシンワウ【守覚法親王】 後白河天皇の第二皇子。出家して仁和寺に入る。和歌・書道をよくし北院流三宝院の祖。著書に「北院御室御集」「左記」「右記」「野月鈔」など。久安六~建仁二年(一一五〇‐一二〇二) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「守覚法親王」の解説 守覚法親王 没年:建仁2.8.25(1202.9.12) 生年:久安6.3.4(1150.4.3) 平安末・鎌倉初期の真言宗僧で仁和寺御室。後白河天皇の第2皇子。母は藤原季成の娘の成子(高倉三位局)。北院御室と呼ばれる。後白河院の下で四円寺や六勝寺の長吏を勤め,様々な御願の修法を行うなど,当時の仏教界の頂点にあった。安元2(1176)年二品に叙せられる。醍醐寺の勝賢にも学んで仁和寺と醍醐寺との法の交流を深める。また仁和寺の御所には多くの僧俗が祗候して,管弦や和歌や記録の文化サークルが作られていた。『北院御室拾要集』『左記』『右記』をはじめ多くの著作がある。<参考文献>土谷恵「中世初頭の仁和寺御室」(『日本歴史』451号) (土谷恵) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「守覚法親王」の解説 守覚法親王 しゅかくほうしんのう 1150-1202 平安後期-鎌倉時代,後白河天皇の第2皇子。久安6年3月4日生まれ。母は藤原成子(せいし)。真言宗仁和(にんな)寺にはいり,嘉応(かおう)元年(1169)門跡(もんぜき),翌年親王となる。承安(じょうあん)2年六勝寺(りくしょうじ)長吏。広沢流と小野流を伝授され,両派を統合。和歌にすぐれた。建仁(けんにん)2年8月25日死去。53歳。法名ははじめ守性。通称は北院(喜多院)御室。家集に「北院御室御集」,編著に「沢見抄」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「守覚法親王」の解説 守覚法親王 (しゅかくほっしんのう) 生年月日:1150年3月4日平安時代後期;鎌倉時代前期の真言宗の僧1202年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by