安場村(読み)やすばむら

日本歴史地名大系 「安場村」の解説

安場村
やすばむら

[現在地名]宝塚市川面かわも一―六丁目

東は荒神こうじん川を境に武庫むこ川面村下川面。同村の上川面と集落耕地が入組む。有馬ありま街道に沿う。天正一三年(一五八五)九月一〇日の羽柴秀吉領知判物(妙光寺文書)に「摂津河辺郡(中略)やすば村」とみえ、当村の二〇石などが妙光みようこう(現大阪市中央区)に宛行われている。慶長国絵図では武庫郡に村名がみえるが以後は川辺かわべ郡に属する。文禄三年(一五九四)浅野弾正忠が検地を行い、高二六石余(延宝四年「反別取箇帳」前田家文書)。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では幕府領建部与十郎預地。


安場村
やすばむら

[現在地名]吉川町吉安きちやす

吉谷きつたに村の南西、美嚢みの川支流吉安川の右岸に位置し、東は竹原たけわら村。慶長国絵図に村名がみえる。初め姫路藩領、元和三年(一六一七)明石藩領となる(正保郷帳など)。延宝七年(一六七九)から幕府(森下家文書)。正徳二年(一七一二)から幕末まで下野壬生藩領(「寛政重修諸家譜」、享保二年「徳川吉宗領知朱印状」大島家文書など)。村高の一部は元禄一四年(一七〇一)旗本曾根領となったと推定される(寛政重修諸家譜)。宝永七年(一七一〇)から旗本久留領となったとみられ(同書)、のち幕府領を経て明和(一七六四―七二)頃は旗本小堀領(森下家文書)安永(一七七二―八一)頃から再び久留領となり、幕末に至る(同文書・旧高旧領取調帳)


安場村
やすばむら

[現在地名]上野市安場

蔵縄手くらなわて村の南。標高二〇〇メートル前後の山間平坦地名張なばり街道が通る。貞享四年(一六八七)新検を改め、本高二七七・九九石、平高七二二・〇五石、寛延(一七四八―五一)頃の戸数八五、人口三四九、馬一六、牛二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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