安沢村(読み)あんざわむら

日本歴史地名大系 「安沢村」の解説

安沢村
あんざわむら

[現在地名]矢板市安沢

後岡うしろおか村の東、うち川左岸に位置する。慶安郷帳では高六六三石余、田方四〇二石余・畑方二六〇石余、幕府領。元禄一〇年(一六九七)旗本有馬土屋岡部・伊勢の四氏に分給、享保一一年(一七二六)に伊勢氏領が没収される。延享四年(一七四七)下総佐倉藩に分給され、以後、有馬(旧高旧領取調帳では四九石余)・岡部(同三四七石余)・土屋(同四九石余)・佐倉藩(同三六六石余)の四給で幕末に至る。

安沢村
やすさわむら

[現在地名]春江町安沢

磯部いそべ川が本流九頭竜くずりゆう川に注ぐ付近にあり、北は磯部川を隔てて石塚いしづか村。中世春近はるちか庄の地。

慶長三年(一五九八)七月二一日付の越前国中墨郡安沢村水帳(矢尾家文書)には四五町七反余、高五三七石余とある。貞享三年(一六八六)福井藩領より幕府領となる。享保一四年(一七二九)八月の坂井郡安沢村高附人家諸色御改帳(同文書)によると、田方二町二反余で高三六石余、畠方二五町五反余で高五〇三石余。

安沢村
やすさわむら

[現在地名]金山町安沢

田茂沢たもざわ村の南西上台うわだい川中流域にある。安ヶ沢と記し、ヤスガサワともよんだ。枝郷に久保くぼ蝋畑ろうはたがある(新田本村鑑)。中世に栄えた北東神室かむろ山登拝口の一つで、当時の坊跡といわれる所がいくつか残る。新田本村鑑によれば当村の百姓治兵衛は古銭の入った曲げ物を掘出したといい、古銭は永楽通宝以前のものであったという。昭和四二年(一九六七)にも坊跡から北宋銭を主体として一万五千枚の古銭が曲げ物に入って出土した。元和八年(一六二二)御前帳写では安賀沢とみえ、高二八〇石余、寛文四年(一六六四)には高三二五石余、うち新田四四石余(新田本村鑑)、文化元年(一八〇四)には高四一五石余、うち田方三六四石余、反別四三町四反余、うち田方三五町四反余(吉村本村鑑)、文政一〇年(一八二七)新庄領総高控では竈数三一(うち借屋一)、人数一五九、駄馬八・駒七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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