日本大百科全書(ニッポニカ) 「宋景詩」の意味・わかりやすい解説
宋景詩
そうけいし
(1824―71?)
中国、清(しん)末農民反乱の指導者。山東省堂邑(どうゆう)県(聊城(りゅうじょう)市と冠県に編入)の人。貧農出身。さまざまな賃仕事や行商に従事するかたわら、武芸を習得し武術教師や地主の用心棒もつとめた。1860~61年、抗糧(税の不払い)事件から始まって、「反清復明(ふくみん)」「劫富済貧(きょうふせいひん)」を掲げ、山東・直隷(ちょくれい)(河北)省境地帯の20余県に波及し、13の県城を占領するに至った農民反乱において、黒旗(こっき)軍を率い、白蓮教(びゃくれんきょう)五大旗の一翼を担って活躍した。しかし形勢が不利となるや清軍に偽装投降して勢力を温存しつつ、地主の率いる民団と戦いを続けた。62年清軍との戦いを再開したが、蒙古(もうこ)騎兵と洋槍(ようそう)隊を率いるセンゲリンチンに撃破された。ついで捻軍(ねんぐん)に投じ、曹州(そうしゅう)大戦に参加。この戦いでセンゲリンチンは戦死した。その後も宋景詩は68年に捻軍が壊滅するまで清軍と戦い続け、71年捕らわれて処刑された、といわれている。現地の民衆の間では、逃れて身を隠し1900年に帰郷して義和団の闘いを指導した、との伝説が伝わっているという。
[西川喜久子]