センゲリンチン(読み)センゲリンチン(英語表記)Senggerinchin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「センゲリンチン」の意味・わかりやすい解説

センゲリンチン(僧格林沁)
センゲリンチン
Seng-ge-lin-qin; Sêng-ko-lin-ch`in

[生]?
[没]同治4(1865).曹州
中国,清の武将。姓はボルジギト (博爾済吉特) 。内モンゴル,ホルチン族の貴族出身。道光5 (1825) 年郡王を襲爵。咸豊3 (53) 年太平天国の北伐軍が直隷に進出したとき,参賛大臣となり,モンゴル騎兵を率いてこれを鎮圧,この功により親王に封じられた。アロー戦争に際し,同8年欽差大臣として軍務をとり,同9年イギリス,フランス艦隊の侵入を撃退したが,翌年再度の来攻敗北。北京条約成立後は,山東河南などで捻軍討伐にあたった。その間数々の戦功により同治2 (63) 年世襲親王に累進した。同4年捻軍を討伐中,包囲を受け戦死

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「センゲリンチン」の意味・わかりやすい解説

センゲリンチン
せんげりんちん / 僧格林沁
Senggerinchin
(?―1865)

中国、清(しん)末の武将。清王室と姻戚(いんせき)関係にあった内モンゴルの豪族出身。1834年御前大臣、36年鑲白旗(じょうはくき)満州都統に任ぜられた。53年から55年にかけて、モンゴルの騎兵を率いて太平天国北伐軍を壊滅させた。56年アロー戦争の際には欽差(きんさ)大臣に任ぜられ、59年大沽(タークー)砲台でイギリス・フランス連合軍を撃退したが、翌年再度の来攻に敗退。その後捻(ねん)軍反乱の鎮圧にあたり、65年山東省曹(そう)州で捻軍に包囲されて戦死した。軍功により世襲親王に封ぜられた。

[西川喜久子]

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