捻軍(読み)ねんぐん(英語表記)Nian-jun; Nien-chün

  • 捻軍 Niǎn jūn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

捻党,捻匪捻子ともいう。中国,清末の太平天国と同じ頃,河南山東安徽江蘇の4省の境界地域を中心に展開した農民反乱は集団を意味し,宗教結社的要素はほとんど認められない。初めは塩の密売農閑期略奪,あるいは賭博行為などを主とする小集団であった。太平天国が北征を開始する頃から活動は活発となり,咸豊5 (1855) 年に張楽 (洛) 行を盟主として各地の捻が結集し,勢力を拡大した。その後太平軍と提携したこともあったが,一方では分裂も起り,清のセンゲリンチン (僧格林沁)の攻撃を受けて同治2 (63) 年張は殺された。その後の捻は流賊的となり,やがて李鴻章淮軍追討を受け,同7年壊滅した。

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百科事典マイペディアの解説

捻子,捻匪などとも。中国,清末の太平天国の軍が南京に進出したのとほとんど同時に河南・山東・安徽・江蘇の境界地域を拠点に活動した反清的武装農民の集団。捻は本来集団の意。1855年ころ張洛行を中心に連合し勢力を拡大。一部は太平軍とも連合した。太平天国滅亡後も勢力を振るったが,李鴻章曾国藩左宗棠(さそうとう)らの攻撃を受けて東捻・西捻などに分散,流賊化し,次第に鎮圧された。
→関連項目丁汝昌

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世界大百科事典 第2版の解説

中国で19世紀半ば,太平天国と同時期に起こった華北の農民反乱。捻は安徽省北部の方言一群の人々を意味する。康熙年間(1662‐1722)から安徽北部を中心に山東,河南,湖北などで活動の知られる捻子(捻党)を起源とする。捻子は塩の闇取引や富豪襲撃などを業とする一種の遊俠集団であったが,災害や重税に苦しむ農民を吸収して勢力を増し,太平軍の北伐が行われるころから各地の小集団を連合,1855年(咸豊5)張洛行を盟主として清朝打倒の姿勢を示した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

1850年代から60年代にかけて、中国の華北に広がった農民反乱軍。捻匪(ねんぴ)、捻党ともよばれた。捻とは一群の人々を意味する安徽(あんき)の方言で、17世紀後半から18世紀前半にかけて安徽北部を中心に活動した闇(やみ)塩売りなどの武装遊侠(ゆうきょう)集団を捻子(ニエンツ)といった。19世紀なかば前後に、災害や重税によって生存を脅かされた農民が大量に参加して勢力を拡大した。太平天国軍の北伐を機に、各地の捻子が連合し、1855年張楽(洛(らく))行を盟主(大漢盟主、一説に大漢明命王)として五旗からなる軍を編成し、淮河(わいが)流域各地を転戦して清(しん)軍と戦った。その後、張は太平天国の王号(沃王(よくおう))を受け、忠王李(り)秀成、英王陳玉成らと連携したが、独立性は保持し続けた。63年安徽北部の根拠地を失い、張は処刑された。しかし天京(南京)陥落後、捻軍は太平軍の残党頼文光の部隊と合流し、彼を首領として華北の清軍を苦しめた。66年東捻軍と西捻軍に分かれ、西捻軍は回族反乱軍と呼応して戦ったが、68年には東西両軍とも李鴻章(りこうしょう)の淮軍などに鎮圧された。

[小島晋治]

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精選版 日本国語大辞典の解説

中国、清末(一九世紀半ごろ)に、河南・河北・山東・安徽を中心に起こった農民の反乱軍。この地方では、祭で紙燭(油紙捻)を燃やして龍舞をする風習があり、圧制に抗した農民が組織を固めた時、捻党と称された。太平天国と呼応、捻軍と称されたが、李鴻章らにより鎮圧された。捻子、捻匪とも。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

19世紀半ばごろ盛んになった中国農民の秘密結社の1つ。捻党 (ねんとう) ,捻匪 (ねんぴ) ともいう
太平天国の乱に乗じて活発になり,山東・安徽・河南省を中心に華北を荒らしたが,湘軍 (しようぐん) ・淮軍 (わいぐん) に討たれ東西に分裂,1868年に平定された。

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