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黒旗軍 こっきぐんHei-qi-jun; Hei-ch`i-chün

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黒旗軍
こっきぐん
Hei-qi-jun; Hei-ch`i-chün

19世紀後半,フランスのベトナム侵略に抵抗した,劉永福首領とする中国人部隊。劉永福は太平天国のときに天地会の反乱に参加,失敗後にベトナムに逃れ,中国との国境地帯を地盤として黒旗軍を編成 (1867) ,黒地に「義」と朱書した旗を用いた。同治 12 (73) 年にはハノイを占領した M.ガルニエを敗死させ,光緒9 (83) 年にはフランス軍司令官リビエールを戦死させ,清仏戦争にも活躍したが,清朝の屈服により帰国 (85) 。のち日本の台湾領有や義和団事変に際しても抵抗した。

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百科事典マイペディアの解説

黒旗軍【こっきぐん】

19世紀後半,太平天国動乱(1851年―1864年)ののち,清仏戦争(1884年―1885年)にいたるまで,ベトナム北部のトンキンフランス人に強く抵抗した中国の農民軍。

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世界大百科事典 第2版の解説

こっきぐん【黒旗軍】

19世紀後半ベトナム北部に割拠して,フランス軍に抵抗した中国天地会系の私軍。首領の劉永福は本来,天地会系農民軍の武将であったが,1865‐66年ころ清軍に追われて首領の呉鯤とともにベトナム北部に入り,67年頃からソンコイ川上流の雲南通商路の要衝ラオカイ(老開,保勝)に拠って,中国・ベトナム貿易路を支配する半独立国を形成する一方,グエン(阮)朝に帰順してその私軍黒旗軍を率い,他の中国系匪賊と戦った。しかしソンコイ川を通じての中国交易はフランスの求めるところであり,73年黒旗軍はハノイ占領中のM.J.F.ガルニエを破って殺し,83年にはリビエールを戦死させ,トゥドゥック(嗣徳)帝から嘉賞された。

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大辞林 第三版の解説

こっきぐん【黒旗軍】

中国清末、清朝に追われた長髪賊の残党を、劉永福が編制した私軍。越南(ベトナム)王に招かれ、フランスと戦った。1885年解散。黒旗兵。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黒旗軍
こっきぐん

19世紀後半、ベトナム北部に割拠して、フランス侵略軍に抵抗した、中国の革命的秘密結社天地会系の私軍。首領の劉永福(りゅうえいふく)は本来、天地会系農民反乱軍の武将であったが、1863年清(しん)軍に追われて、ベトナム北部に入った。65年ごろより、ソン・コイ川上流から雲南通商路の要衝ラオカイ(老開、保勝)を根拠として、中越貿易路を支配する半独立国を形成する一方、ベトナム阮(げん)朝(グエン朝)に帰順して、他の中国系匪賊(ひぞく)集団と争った。しかし、ソン・コイ川を水路として利用した中国貿易はフランスの求めるところであり、黒旗軍とフランスとの衝突が起こった。73年黒旗軍はハノイにガルニエを破って殺し、83年には同じくリビエールを敗死させて、嗣徳(ツードック)帝から賞された。しかし、リビエール事件はフランスの北部介入と清仏(しんふつ)戦争を招いた。黒旗軍はしばしばフランス軍を破ったが、85年両広(広東(カントン)、広西の2省)総督張之洞(ちょうしどう)の要請によって軍を解散した。こののち96年日清戦争後、広東でふたたび劉の下に黒旗軍が組織されたが、大きな軍閥勢力とはなりえなかった。[桜井由躬雄]

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