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19世紀後半ベトナム北部に割拠して,フランス軍に抵抗した中国天地会系の私軍。首領の劉永福は本来,天地会系農民軍の武将であったが,1865-66年ころ清軍に追われて首領の呉鯤とともにベトナム北部に入り,67年頃からソンコイ川上流の雲南通商路の要衝ラオカイ(老開,保勝)に拠って,中国・ベトナム貿易路を支配する半独立国を形成する一方,グエン(阮)朝に帰順してその私軍黒旗軍を率い,他の中国系匪賊と戦った。しかしソンコイ川を通じての中国交易はフランスの求めるところであり,73年黒旗軍はハノイ占領中のM.J.F.ガルニエを破って殺し,83年にはリビエールを戦死させ,トゥドゥック(嗣徳)帝から嘉賞された。しかしリビエール事件はフランスの北部介入と清仏戦争を招き,黒旗軍は清将唐景崧の率いる中国正規軍とともにしばしばフランス軍を破ったが,85年両広総督張之洞の要請により中国に帰国して解散した。日清戦争後の96年に劉永福は再度黒旗軍を組織して台湾に渡るが,大きな反日勢力とはなりえなかった。
執筆者:桜井 由躬雄
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19世紀後半、ベトナム北部に割拠して、フランス侵略軍に抵抗した、中国の革命的秘密結社天地会系の私軍。首領の劉永福(りゅうえいふく)は本来、天地会系農民反乱軍の武将であったが、1863年清(しん)軍に追われて、ベトナム北部に入った。65年ごろより、ソン・コイ川上流から雲南通商路の要衝ラオカイ(老開、保勝)を根拠として、中越貿易路を支配する半独立国を形成する一方、ベトナム阮(げん)朝(グエン朝)に帰順して、他の中国系匪賊(ひぞく)集団と争った。しかし、ソン・コイ川を水路として利用した中国貿易はフランスの求めるところであり、黒旗軍とフランスとの衝突が起こった。73年黒旗軍はハノイにガルニエを破って殺し、83年には同じくリビエールを敗死させて、嗣徳(ツードック)帝から賞された。しかし、リビエール事件はフランスの北部介入と清仏(しんふつ)戦争を招いた。黒旗軍はしばしばフランス軍を破ったが、85年両広(広東(カントン)、広西の2省)総督張之洞(ちょうしどう)の要請によって軍を解散した。こののち96年日清戦争後、広東でふたたび劉の下に黒旗軍が組織されたが、大きな軍閥勢力とはなりえなかった。
[桜井由躬雄]
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