宗像政(読み)ムナカタ タダシ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「宗像政」の解説

宗像 政
ムナカタ タダシ


肩書
衆院議員(立憲政友会),貴院議員(勅選),埼玉知事

旧名・旧姓
旧姓=田村

生年月日
嘉永7年1月(1854年)

出身地
肥後国(現・熊本県)

学歴
開拓使札幌学校 東京芝学校

経歴
明治10年西南の役に西郷軍中隊長として従軍。15年赦免され相愛社に入り、自由民権を唱える。17年上京し東亜学館を設立。27年衆院議員、29年埼玉県知事となる。31年に第2次松方内閣が総辞職した際も「我は壇の浦まで行く」と豪語して知事を辞さず、壇の浦知事の異名をとる。のち青森、福井、宮城、高知、熊本、東京の府県知事歴任。大正4年再び衆院議員に選出され、6年には貴院議員に勅選された。

没年月日
大正7年2月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「宗像政」の解説

宗像 政
ムナカタ タダス

明治・大正期の政治家 衆院議員(立憲政友会);貴院議員(勅選);埼玉県知事。



生年
嘉永7年1月(1854年)

没年
大正7(1918)年2月7日

出身地
肥後国(熊本県)

旧姓(旧名)
田村

学歴〔年〕
開拓使札幌学校,東京芝学校

経歴
明治10年西南の役に西郷軍中隊長として従軍。15年赦免され相愛社に入り、自由民権を唱える。17年上京し東亜学館を設立。27年衆院議員、29年埼玉県知事となる。31年に第2次松方内閣が総辞職した際も「我は壇の浦まで行く」と豪語して知事を辞さず、壇の浦知事の異名をとる。のち青森、福井、宮城、高知、熊本、東京の府県知事を歴任。大正4年再び衆院議員に選出され、6年には貴院議員に勅選された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宗像政」の解説

宗像政 むなかた-ただす

1854-1918 明治-大正時代の政治家,官僚
嘉永(かえい)7年1月生まれ。もと肥後熊本藩士。西南戦争で西郷軍に参加し,戦後入獄。出獄後自由民権をとなえ,明治27年衆議院議員(当選2回,政友会)。埼玉,福井,高知,熊本,東京などの府県知事を歴任した。貴族院議員。大正7年2月7日死去。65歳。旧姓は田村。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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