宗像誠也(読み)ムナカタ セイヤ

20世紀日本人名事典 「宗像誠也」の解説

宗像 誠也
ムナカタ セイヤ

昭和期の教育学者 東京大学名誉教授



生年
明治41(1908)年4月9日

没年
昭和45(1970)年6月22日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大教育学科教育行政学専攻〔昭和6年〕卒

経歴
昭和7年東大文学部助手となり、東洋駒沢、立教各大学の講師や法政大学、東京文理大学の教授を経て、戦後の24年東大に教育学部が創設されると同時に教授に迎えられ、教育行政学の講座を担当する。教育の国家統制に反対して国民と教師の教育権の理論提起、26年から日教組全国教研集会の講師をつとめ、家永教科書裁判では日教組講師団の中核メンバーとして証人に立ち、家永教授を支援した。また日教組出資の国民教育研究所の研究会議議長や日本教育学会理事、日本科学者会議全国常任理事などを歴任し、34年から日本学術会議会員。著書に「教育行政学序説」「私の教育宣言」「教育と教育政策」「宗像誠也教育学著作全集」(全5巻)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宗像誠也」の意味・わかりやすい解説

宗像誠也
むなかたせいや
(1908―1970)

教育学者。明治41年4月9日東京に生まれる。1931年(昭和6)東京帝国大学教育学科卒業。国立教育研修所主事、東京文理科大学(現、筑波(つくば)大学)教授を経て、1949年(昭和24)東大教授となり、教育行政理論の構築尽力。その間、教育科学研究会の結成再建参加したほか民間の教育研究運動に指導的役割を果たした。主著に『教育研究法』(1950)、『教育行政学序説』(1954)などがある。

[三原芳一]

『『宗像誠也教育学著作集』全5巻(1975・青木書店)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宗像誠也」の解説

宗像誠也 むなかた-せいや

1908-1970 昭和時代の教育学者。
明治41年4月9日生まれ。昭和12年教育科学研究会結成に参加,15年法大教授。戦後は東京文理大教授をへて24年東大教授となり,教育行政学を担当。日教組の教研集会講師をつとめ,国民教育研究所設立に尽力した。著作集5巻がある。昭和45年6月22日死去。62歳。東京出身。東京帝大卒。

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367日誕生日大事典 「宗像誠也」の解説

宗像 誠也 (むなかた せいや)

生年月日:1908年4月9日
昭和時代の教育学者。東京大学教授
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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