日本歴史地名大系 「実際寺」の解説
実際寺
じつさいじ
貞治五年(一三六六)の実際寺領与一野年貢帳写が伝来し、当寺は少なくとも南北朝中期には存在した。応永元年(一三九四)の大内義弘安堵状があり、同三五年八月一九日付の祖綱外四名連署寄進状(当寺文書)は「安芸国山県郡大田郷戸河内村内実際寺領理地庵屋敷事」として、東は「従開山塔仏殿之小庭ヲ限」、南は「横路を至西之谷限」、西は「従谷尾筋ヲ登大峰尾至滝首限」、北は「従滝首平ヲ下至開山塔限」と記す。
実際寺
じつさいじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報