日本歴史地名大系 「宮ノ前村」の解説 宮ノ前村みやのまえむら 兵庫県:加古川市旧印南郡地区宮ノ前村[現在地名]加古川市西神吉町宮前(にしかんきちようみやまえ)神吉村の北西、法華山谷(ほつけさんたに)川中流東岸、神吉台地の北西部に位置する。宮前村・宮之前村とも記す。慶長国絵図に宮前村とみえる。正保郷帳によると田方三三六石余・畑方二四石余。寛保二年(一七四二)の村明細帳(真福寺文書)によると田二三町五反余(うち一町余は湿地片作)・分米三八八石余、畑三町二反余・分米二九石余、新田畑四町七反余・分米三一石余、小物成は夫口米・犬米・草藁銀・柿渋、家数六六(本百姓四七・水呑一九)・人数三〇七(うち大工四)、牛一四、池四(大池・新池・馬之頭池・地知行池)は神吉・宮ノ前・清水(しみず)・下富木(しもとみき)・西(にし)・中西(なかにし)・天下原(あまがはら)・大国(おおぐに)八ヵ村の立会池で池守二人が置かれていた。 宮ノ前村みやのまえむら 大阪府:池田市宮ノ前村[現在地名]池田市住吉(すみよし)二丁目・空港(くうこう)一―二丁目産所(さんじよ)村の南西にあり、村の北側を西国街道が通る。村名は産土神の住吉神社が鎮座することにちなむ。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図に宮前村とみえる。元和年間(一六一五―二四)以降麻田藩領。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳によると村高一九三石余。村の西部に、轟木(とどろき)村・今在家(いまざいけ)村および当村立会の宮ノ前池があったが、現在は池田インターチェンジの敷地となっている。 宮ノ前村みやのまえむら 兵庫県:篠山市旧篠山町地区宮ノ前村[現在地名]篠山市宮ノ前波々伯部(ほほかべ)井之上(いのうえ)村の東、篠山川支流の辻(つじ)川が流れる。正保郷帳に「宮ノ前村」とみえ、田高二一三石余・畠高二一石余。元禄郷帳では波々伯部を冠称する。「丹波志」では波々伯部庄のうちで、高二三二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by